無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 「シバくん」「ライオンバス」の番組リポーターを経験して   

 総合政策学部政策科学科3年 渡邉紗千

 私は第一四六回多摩探検隊「さよならライオンバス」の番組リポーターを務めた。リポーターに挑戦するのは二回目であった。一回目は今から一年前の大学二年生の六月。タバコ屋さんの看板犬「シバくん」と、そこに訪れる人々を取材した第一三五回多摩探検隊「多摩の名物店員を追え!」である。この番組では、私が小金井市にある「すずきたばこ店」を訪ね、そこで看板犬として活躍する柴犬のシバくんとそれを取り巻く人々についてリポートした。
 私がシバくんをリポートすることになったのは、些細なきっかけであった。私が所属するゼミの教授が「画面に出たら自然と笑顔になるような人をリポーターにしましょう」と提案し、私が選ばれたのだ。そして何の経験もないまま、ゼミに入っていきなりリポーターを務めることになった。とても楽しみな気持ちもある一方で、「自分に与えられた役目をきちんとこなすことができるのだろうか」「リポーターとして番組に貢献できるだろうか」という不安のほうが何倍も大きかった。撮影当日、いざリポートに挑戦してみたものの、言葉が全くと言っていいほど出てこなかった。インタビューしたときは、何を聞いて、どのような反応を返すのが正しいのかもよく分からず、相槌を打つことが精一杯であった。
 撮影を進めていくと、私たちはたくさんの人たちに出会い、見知らぬ人たちの間でコミュニケーションが生まれる瞬間に立ち会うことができた。「シバクンに会うために台湾からきた女性、メキシコから来た男性。国内からも多くのお客さんがやって来た。全くの他人同士なのに、シバくんを巡って、とても話がはずんでいた。小金井市の小さなたばこ屋さんで、グローバルな新しいコミュニティが出来ていることに驚き、そして心温まった。これは私にとってゼミ生活の中で大きな発見と経験となった。
 その後、私はまさか再びリポーターを務めるとは思っていなかった。しかし、番組「さよならライオンバス」の企画が持ち上がった時に、ディレクターを務める同期が、私をリポーターに指名したのだ。
 今年(二〇一六年)の三月三一日、多摩動物公園の「ライオンバス」が半世紀以上の歴史に幕を閉じた。理由はバス発着所になっている建物の老朽化である。人々から愛され続けたライオンバスの魅力について伝えるため、私たちは番組を作ることにした。私は、一回目のリポーター経験を活かして挑もうと決意したが、それでもやはり「自分でいいのだろうか」という不安と、「きちんとリポートできるのだろうか」という緊張を、拭い去ることはできなかった。
 そんな不安と緊張を抱えたまま、撮影は始まった。いざライオンバスに乗ってみると、ライオンの姿を間近で見ることができ、迫力満点であった。さすが百獣の王と言うべきか、身体にはたくさんの傷があるのでたくましかった。それとは反対にネコ科ということもあり、のんびりとした姿は大きな猫のようで可愛らしかった。
 ライオンバスに実際に乗った後、私たちはライオンバス乗り場で、ライオンバスから降りてきた人にインタビューをした。その中で私の印象に残ったのは、親子三世代で訪れていた家族だ。娘さんが小さい頃からライオンバスに乗っており、今回でいったん休止だということで、お孫さんも連れて親子三世代で来たというお母さんとお父さん。世代を超えてライオンバスが愛されているのだと実感した。最後に私が「またライオンバスが復活するのが楽しみですね」と言うと、そのお母さんは「今度はもう一人たくさんで来ようね」と言っていた。娘さんのお腹には二人目の赤ちゃんがいるという。私はライオンバスというものが、世代を超えて愛され、各々の「家族」の歴史の中に生き続けてきたのだということを改めて実感した。この番組を通して、リポーターとしてうまく何かを伝えられたのかはわからないが、ライオンバスが様々な人の大事な思い出になっている事実は伝えられたのではないかと思う。
 私は二本の動物番組のリポーターを務めて、コミュニケーションを取ることの難しさに改めて触れ、また良い言葉が出てこないことへのもどかしさも感じていた。しかし、それ以上にたくさんの人たちから様々な話を聞くことができたことは、何よりも嬉しかった。私はこれからも、現場で実際の声を聞き、多くの人に伝えることができるように、今後ともゼミ活動を頑張りたいと思った。

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by tamatanweb | 2016-09-01 00:00 | 制作日誌

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