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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 子ども放送局が残したもの   

法学部 法律学科 2年 冨田 佑

三月末、桜が満開になり春の訪れを感じるころ、昭島市立つつじが丘南小学校の卒業式に行った。「子ども放送局」の制作に携わった小学六年生の卒業を祝うためだ。「おめでとう」と言うと、「ありがとう」と笑顔で答える子どもたちの顔を見て、ふと、小学校生活六年間の思い出に、どれほど子ども放送局が残っているだろうか、大袈裟だが、自分たち大学生が、どれだけ彼らに思い出として子ども放送局を残してあげられたか、と考えた。

二月十六日・十七日の二日間、「第二回 昭島子ども放送局」が開催された。小学生が、地域の魅力を取材、企画、撮影、編集して一本のテレビ番組を制作する。大学生は、TA(Teaching Assistant)としてサポート役を務める。私が担当した班で取り上げたのは、「アキシマクジラ」である。昭和三六年、昭島市多摩川流域でクジラの化石が見つかった。番組では、子どもたちが発見者の息子さんへのインタビュー、化石の発掘現場、昭島市にあるクジラの看板などのレポート、そしてクジラの肉が売られている三多摩市場のレポートを通して、クジラに密着した。

子どもに取材した感想を聞くと、「何回も取り直すのが大変でした」と開口一番にこの言葉が出てきた。取材では、見ず知らずの大人に対して、話を聞いて、コメントをする。レポートでは、上手くいかず何度も撮り直しをすることもある。また、撮影では子どもたちにとっては大きなカメラを使って、被写体をうまくフレームで捉えなければいけない。撮影後は、本格的な編集ソフトを使用して構成を考えながら編集をする。おそらく人生の中で初めての経験であろうし、これからもそんな経験をすることはないだろう。普段何気なく「視聴者」として見ているテレビ番組を、「発信者」として制作する今回の体験は、子どもたちにとって大変なものであった。

しかし、苦労したぶん、子どもたちが得たものは大きかったと思う。それは、一回目の子ども放送局の時に比べて、臆することなく取材者の人にインタビューをしたり、撮り直しをしても、あきらめずに何度も撮影に取り組む真剣な子供たちの姿を見れば明らかだった。「子ども放送局のおかげで人前に出るのが少し好きになった」と、卒業文集に残してくれた子もいた。

子ども放送局を通じての彼らの思い出は、六年間の小学校生活の中でかけがえにない貴重なものになっていると思う。むしろ、TAとして参加した私も、彼らから大学生活の大切な思い出となるフィードバックを得たような気がする。これから、子どもたちが番組制作に携わることは生涯を通してないかもしれない。でも、彼らの中で今回得た経験が生き続けてほしい。

そう心から願って、大きめでブカブカのスーツを着て、一回り大きく見える、いや、内面的にも成長を遂げた彼らの姿に別れを告げて、小学校を後にした。
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by tamatanweb | 2008-04-04 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 8年後の彼らに   

法学部 政治学科 3年 板倉拓也

「そういえば、小学生のころ、近所の大学生と毎日遊んでた時期があったっけ」

夜遅くまで、見あげるように大きい大学生とサッカーやドッヂボールをしていた日々。完成した「子ども放送局」のVTRを見ながら、ふと思い出した。

子ども放送局とは、小学生・中学生が自分の住む町をレポートする番組をつくるプロジェクトである。大学生はTA(Teaching Assistant)として子どもたちをサポートする役割を担い、企画、撮影、編集は小中学生が行う。時が経つのは早いもので、今では私も思い出のなかの大学生と同じ年になった。そして、子ども放送局のTAとして、かつての私と同じ年の子どもたちとふれ合うようになった。

二〇〇八年度は、七月に福井県で「高浜子ども放送局」が、十一月と二月に東京都の昭島市で「昭島子ども放送局」が行われた。私はそのうちの二回の昭島子ども放送局に携わった。

今だからこそ言えるが、最初子ども放送局のTAをすることは億劫だった。子どもとどう接すればいいのかわからない。きちんとまとめることができるのか、という不安もあった。

しかし、この思いと裏腹に、私は昭島子ども放送局のTAを務めることになった。理由は簡単だった。各々のスケジュールを考えたうえで、TAをできそうなのが私しかいなかったのだ。

決して本望とは言えない形でTAになった私は最初、子ども放送局に対する不安を払拭しきれずにいた。しかし、十一月、二月と二回の子ども放送局を経験していくにつれ、それらの不安はあまり感じられなくなっていった。

もちろん不安はあったが、それを感じなかったのは、私のなかでいつの間にか、子ども放送局に対する不安よりも期待のほうが勝るようになっていたからだろう。

子ども放送局に対する期待。それは、撮影を通して、目に見えて成長する子どもたちの姿に立ち会える、という期待である。最初は、TAが助言しないと出てこなかった取材相手への質問が、二月の子ども放送局のときには、メモをとるのが追いつかないくらい次々とでてくる。用意されたルーズリーフは、質問を書いたポストイットでいっぱいになった。また、大学生のあとに続いてしかあいさつできなかった子どもたちが、終盤にもなると何も言わないでもあいさつできるようになっていた。

きっと、これらのことは決して私たちのサポートでできるようになったというものではなく、子どもたちが自然に習得していったものだろう。そうだとしても、子どもの成長を実感できることに、TAの喜びを感じた。

おそらく参加した子どもたちは、かなり特異な体験をした小学生ということになるだろう。大学生といっしょに町を歩き、知らない人にインタビューする。決して学校の授業では体験できないことばかりだ。

子どもたちが二十歳になるまで、あと八年。子ども放送局は、これからの彼らの成長のために何かを残すことができたのだろうか、なんてことを考える。

でも、子どもたちが今の私と同じ歳になるころ、

「そういえば、小学生のころ、大学生と子ども放送局なんてやってたっけ」

なんて、ふと思い出してくれたら、それだけでうれしい。
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by tamatanweb | 2008-04-01 00:00 | 昭島子ども放送局