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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 誰も知らない場所、人、思い   

法学部 3年 白川 遼



夏の暑さも和らいできた二〇〇八年九月、私は檜原(ひのはら)村を訪れた。インターネットで檜原村のホームページを見つけて、興味を持ったからだ。 東京都檜原村は、島峡部を除いた東京で唯一の村である。人口は三千人。過疎化と高齢化が進み限界集落もある。東京都でありながら自然が多く、東京都では唯一、日本の滝百選に選ばれた「払沢(ほっさわ)の滝」がある。檜原村はいわば、東京の隠れた観光スポットともいえる場所だ。

中央大学に入り多摩に住むようになってからおよそ一年半が経つが、檜原村という名前すら聞いたことがなかった。とにかく番組を作らなければ、と焦っていた私は、行ってみれば何かあるかもしれないと思い、とにかく一度取材に行くことを決めた。

番組制作のための事前取材という名目ではあるが、都心から遠く離れたその地へ行くのは、小旅行に近い感覚だった。ちょっとした冒険心も相まって、気持ちは昂ぶった。

中央大学多摩キャンパスに近い私の自宅からおよそ2時間。電車とバスを乗り継いで、ようやく檜原村に到着した。

バスから降りて周囲を見渡すと、一面森であった。民家もまばらである。こんな場所に本当に面白いものがあるのか、と不安になりつつも、目的地である払沢の滝へ向けて歩きだした。

滝を見て帰る途中、一軒の小さな食堂に立ち寄った。三〇年前に嫁いでこの村に来たという女性店員は、人口も少なく高齢化も進むこの村を何とかしたいという思いからこの食堂を手伝い、檜原村特産のじゃがいもやこんにゃくを使用した料理を提供しているという。

その女性は「若い人は村を出ている方も多いが、帰ってきて、結婚して子どもを生んで賑やかになってほしい」と熱い思いを語ってくれた。

手作りの彫刻などを売る土産屋を営むおじいさんは、商売のかたわら、旅行者に観光スポットの案内をボランティアでやっているという。毎年、滝の凍結の様子を見に行っては、凍結状況を観光客に知らせているのだと話してくれた。

過疎化、高齢化が進む檜原村であるが、そこには村を元気にしたい、という住民の思いがあることを知った。この思いは、全国の過疎化が進む場所における普遍的な願いではないかと思った。

私はこの人達の村に対する思いや、檜原村の魅力を多くの人に伝えたいと思い、多摩探検隊で番組を制作することを決めた。本番の撮影では、村役場でいきなり村長インタビューに成功したものの、初めてのディレクターでうまく仕切れず、レポーターや撮影クルーには多大な迷惑をかけた。そして、編集が思うように進まず、落ち込むことも多々あった。

しかし、多くのゼミ生の応援、そして何より檜原村で出会った人々の思いを伝えたいという気持ちから、なんとか番組を完成させることができた。結局、事前取材からはじまり、撮影に追撮と、四回も檜原村に足を運ぶことになった。一〇月から撮影をはじめ、完成したのは初めて檜原村に行ってから約半年が経った頃だった。こんなに半年間が短く感じられたのは初めてだった。

番組制作を通して、私自身がこの檜原村を深く知ることにつながった。つらい経験もあったが、普段の生活では決して出会うことのない人々の思いに触れることができた。私は、そうしたものを番組の中に込めたつもりだ。

自分で企画し、自分で事前取材に行き、そして、ゼミ生の応援を得て作り上げた番組。わずか十分間の番組であるが、私にとっては、大学時代の大切な宝物となった。

二〇〇九年六月、私は久しぶりに檜原村を訪れた。日々の生活の中で、ふとこの地を思い出し、行きたくなったのだ。以前立ち寄った食堂に入ると、あのときの女性店員が働いていた。私に気が付くと、「お久しぶり」と笑顔で話しかけてきた。私にとってその言葉は、「お帰りなさい」と言っているような気がした。

多摩探検隊がなければ決して行くことのなかった檜原村だが、気づけばこの地は、第二の故郷になっていた。
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by tamatanweb | 2009-12-01 00:00 | 制作日誌

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 20歳。初めての冒険と挑戦   

総合政策学部 3年 浦野 遥



私が二〇歳になって初めて訪れた場所は、多摩地区唯一の村だった。さらに言ってしまえば私が二〇歳になって初めて着た服は、ジーンズにTシャツにスニーカー。背中にはリュックサックを背負い、腕には腕章がつけられていた。どこから見てみても、とても大学生には見えない格好で、私は電車に乗り込んだ。

私がリポーターを務めた「多摩あるきたい!檜原村編」は、「多摩探検隊」の新企画ということもあってか、撮影の仕方やレポートの仕方など、全てが今までにないものだった。訪れた場所は多摩地区唯一の村「檜原村」だ。歩いて出会った人に話を聞き、名物があれば食べ、自然に触れ合って、檜原村の魅力を伝えることが私の任務だった。最初は、場所も名物もまったく想像できない「ヒノハラムラ」に私は困惑した。「私という媒体を通すことで、檜原村の良さが伝わらなくなってしまうのではないか」という不安が、撮影当日まで消えなかった。しかし、撮影の前日は私の二〇歳の誕生日だったこともあり、二〇歳の最初に自分の殻を破った挑戦がしてみたかった。素直に自分の感性で、精一杯やってみたら、きちんと観ている人に伝わるはず。そう言い聞かせて興奮や緊張の入り混じっている自分を落ち着かせ、前日は早い時間に眠りについた。

撮影当日、私は早朝五時に起きた。まだ空は暗い。眠たい目をこすりながら、二〇歳らしくない姿で家を出た。電車の窓を流れる景色は、どんどん緑が増していった。また、檜原村には電車が通っていないため、電車を降りた後にバスを乗り継ぐ。山を登るバスの中、私はハイキングに来たような気分になって、前日緊張していたのが嘘のように楽しんでいた。バスから見える木々がキラキラ輝いていたこと、空気はとても澄んでいたこと、都心とは違ってとても涼しかったこと。それらは今でも鮮明に覚えている。

やっと檜原村に着くと、村役場で村長さんに話を伺った。突然押し掛けたのも関わらず、村長さんはたっぷりと檜原村の魅力を教えてくださった。そしてそこから、私の檜原村探検が始まったのである。日本の滝百選に選ばれた「払沢(ほっさわ)の滝」を目指し、山を登った。途中、名物のお豆腐を食べた。ジャガイモが丸ごと入った肉じゃが定食も食べた。たくさんの人や動物に出会い、会話を楽しんだ。そしてやっと滝に着いたときは、朝五時起きで眠いことも、四時間も歩いた疲れも、全てすっ飛ぶほど嬉しかった。この感動を、番組を観てくれている人にも味わって欲しいと素直に思った。感じたことや、目に見えたものは全て話をした。伝わりにくいものは、分かりやすい言葉に置き換えて、リポートした。

二〇歳になって初めての任務は大きいものだったが、おかげで私は言葉の重みを実感した。そして自分が人に情報を伝える側になって初めて、伝えることの素晴らしさ、難しさを知った。

「ヒノハラムラ」。そこには、日本滝百選のひとつ「払沢の滝」がある。

「ヒノハラムラ」。そこでは、ジャガイモが丸ごと入った、肉じゃが定食が食べられる。

「ヒノハラムラ」。そこには、毎日たくさんの人が訪れ、たくさんの人が生活している。

「ヒノハラムラ」。そこは私が大好きな、自然の魅力あふれる村である。
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by tamatanweb | 2009-12-01 00:00 | 制作日誌