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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 「多摩だるま」職人の思いを伝える   

商学部 成松 美菜



皆さんは、「多摩だるま」という手作りのだるまがあることを知っているだろうか。

大学2年の9月から3年の5月まで、私は多摩の名産品「多摩だるま」を作る職人を追い続け、8ヶ月かけて1本のドキュメンタリーを完成させた。タイトルは、「多摩だるま ~受け継がれる手作りの心~」だ。

「多摩だるま」は、江戸時代から多摩地区で作り続けられている手作りのだるまである。特徴は、形が丸く、彫が深い顔をしていること。また、大きなものでは目の周りに金箔がほどこされる。昔、多摩では養蚕が盛んで、豊作を願う意味でどこの農家でもだるまが神棚に飾られていたという。かつては、別の場所から商人がだるまを売りに来ていたのだが、そのうち多摩にだるま職人が登場し、その伝統が今も続いている。

最近では、工場でプレス成型される大量生産品のだるまが多いが、多摩には、1個1個手作りの「多摩だるま」が、今でも生き延びているのだ。

今回取材させて頂いた「内野屋」は、そんな「多摩だるま」を約100年、3代にわたり、専業で作り続けている老舗である。

JR箱根ヶ崎駅から徒歩30分。東京都瑞穂町に「内野屋」の作業場がある。庭先にずらりと干された赤塗り前の白いだるまの大群に迎えられ、私は作業場に足を踏み入れた。だるま職人の内野治さん(43)は、だるまの顔を描く作業の真っ只中であった。黙々と作業をする内野さんはとても真剣な眼差しで、取材しているこちらも緊張するほどだった。

そして、取材はだるまのように、まさに七転び八起きだった。最初の頃は緊張で、聞きたい事もなかなか聞けず空回りしてばかりだった。2回、3回と取材を重ねるうちに内野さんとも打ち解け、少しずつ話を聞けるようになった。だるま作りの工程やインタビューの撮影にも親切に協力して頂き、取材は順調に進んだ。

ずらりと並んだだるまの群れの中で1人黙々と作業する内野さん。彼の筆はまるでなぞる線が見えているかのようによどみなく動き、彫りの深い凛々しいだるまの顔が浮かびあがってくる。私はその姿に見惚れた。

インタビューでは、良い言葉をカメラの前で引き出すことに苦労した。質問が直接的過ぎても、抽象的過ぎてもいけない。現場の状況に合わせた柔軟な対応をとることは、とても難しかった。何度も失敗したが、内野さんは最後までインタビューに付き合ってくれた。

そのインタビューの中で印象に残った言葉がある。「1つ1つ手作りのだるまと、機械で作られただるまの差が、お客さんに分からなくなってきているんだ・・・...」。内野さんは、そう寂しそうにつぶやいた。

以前は1つ1つ木型に紙を貼り、形は不揃いでも手作りのだるまが作られてきた。しかし今は胴の部分を機械で作るだるまが増えてきている。機械で作れば失敗もなくなるし、大きさも全て同じになる。しかし、その中で内野さんは手作りにこだわり続けている。「手作りの方が、味があるんだよね。1つ1つ違う顔になる。人と同じだ」。そういって笑った内野さん。職人としてのこだわりが感じられた。

この後、撮った映像を編集し、5月にようやく「多摩だるま」のVTRは完成した。取材回数10回、制作期間8ヶ月。振り返ればあっと言う間であった。ケーブルテレビへの納品も無事に終わり、ようやくホッとした。ただ、本当に内野さんの思いや、自分がVTRに込めた思いが見た人に伝わっているのか少し疑問も残っていた。

そんなある日、高幡不動駅から自宅への帰り道を歩いていたところ、偶然通りかかった初老の男性と話す機会があった。最初は彼の家庭菜園の話をしていたのだが、話が弾む中で「多摩探検隊知っているよ、内野さんだっけ?『多摩だるま』なんて知らなかったけど、すごく面白かったよ」と話してくれた。なんとも言えない温かい充実感が、私の体中に満ちていくのが分かった。 

私は、1人でも多くの人に知ってもらいたかった。多摩地域に、こんな伝統的なだるまがあることを。そして、それを作り続ける職人がいることを。高幡不動で出合った彼の言葉は、私が伝えたい思いが1人の視聴者に伝わっている証拠であった。

この番組制作を通して、人に出会うことの楽しさ、人に何かを伝える面白さ、いろいろなことを学んだ。私はこれからも、埋もれた事実を掘り起こし、いろいろな人に伝えていきたい。
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by tamatanweb | 2010-02-01 00:00 | 制作日誌

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 昭島子ども放送局 ―地域の魅力を知るきっかけ―   

総合政策学部 国際政策文化学科 3年 平野実季
「このお仕事をしていて大変なことは何ですか?」

「うーん...、朝...早く起きなくてはいけないことですね」。

今年の冬、取材に行った和菓子屋のご主人と子どもレポーターのやりとりだ。少し、困りながらも、正直に答えてしまうご主人の表情がカメラに収められている。もしかしたら、子どもにしか作り出せないと思える、クスッと笑える微笑ましい雰囲気だ。この雰囲気が「子ども放送局」の売りである、と私は思う。子ども放送局とは、子どもたちが自ら撮影、インタビュー、レポートを行って作る番組だ。大学生の私は、子ども達のサポート役として携わった。

昭島市にいくつか和菓子屋がある。その一つの和菓子屋のご主人は、カステラ作りを得意としている。ご主人が考案したカステラは、同じ昭島市で採れた、黄身が濃厚な卵を原料として使っている。今回、子どもたちはそのカステラ作りに挑戦したのだ。それだけでなく、冒頭にあったようにインタビューも行う。ご主人はもちろんのこと、ご主人のお父さんにもインタビューをした。子どもたちからすると「おじいちゃん」の年代だ。昔から、昭島市にあったお店で、おじいちゃんは昔の昭島の様子も語っている。子どもたちは、和菓子屋のおじいちゃんへのインタビューを通して、自分たちの住む町の歴史にも触れることができるのである。

子ども放送局は、子どもたちがメディアについて考えたり、実践することだけが目的ではなく、自分たちの住む地域について学んだり、その地域で今まで交流のなかった人と触れあうといった「地域再発見」「地域活性化」を一つの目的としている。

私は、昭島市以外の地域でも子ども放送局に携わってきたが、「地域活性化」という目的を達成するのは難しく、曖昧なものであるような気もする。一体どうしたら「地域活性化」と言えるのだろうか。その形というか、こういう番組を作って実際に変わったことはあるのだろうか。

子ども放送局に参加した当初、私は子どもたちの番組が完成できるように、サポートに必死になっていたが、少し経ってからそんなことを考えるようになった。

子ども放送局では放送だけでなく、出来上がった番組をDVDにして子どもに渡す。子どもたちは、嬉しそうに受け取ってくれる。そして、取材先である和菓子屋に届けに行った。ケーブルテレビ放送用に編集をした私は、和菓子屋さんのご主人と一緒に番組を観た。少し照れ臭そうだったが、「ありがとう」と喜んでくれた。ご主人の息子の赤ちゃんが、テレビに映っているお父さんを観て、一瞬唖然としていたのも印象的だった。すると、ご主人がカステラを買いにきたお客さんの話をしてくれた。その人は、番組に出演した子どもの親御さんらしい。一度は名前を名乗って来店したが、その後は「名乗らないで、でも、何回も来てくれているらしいよ」。

そう言えば、子どもの一人が話してくれた。「お父さん、あそこのカステラ気に入っちゃったみたい」。

子ども放送局を通して、地域の中で新しいコミュニケーションが生まれているのは確かかもしれない。それは、小さなものでなかなか形として表れることはなくても。子ども放送局が地域に目を向ける「きっかけ」になったみたいで良かったな、と思う。
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by tamatanweb | 2010-02-01 00:00 | 昭島子ども放送局