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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 原種に近い幻のジャガイモ「治助」を追って ~イモだけに、芋蔓式の出会い~   

法学部 政治学科 2年 松野 友美



「治助」というジャガイモをご存じだろうか?治助とは、奥多摩町でしか手に入れることが出来ない原種に近いDNAを持つと言われるイモである。今回は、幻のジャガイモ、治助の正体を追い、DNA鑑定まで行った。その一部始終を、十分間のVTRにまとめた。完成したVTRは第八〇回多摩探検隊『掘り起こせ!幻のジャガイモ』として放送された。私は、ディレクターとしてこのVTR制作に携わった。

二〇一〇年三月上旬。私は杉の木が生い茂る奥多摩町に出掛けた。目的は、番組の企画を探すことだった。都心ではあまり知られていない奥多摩には、まだまだ隠されている面白い話題があるのではないかと思ったからだ。

駅舎を出ると、すぐに奥多摩町役場があった。中に入り、何か地元色があるものは無いだろうかと探していると、壁に町内新聞が貼ってあるのに気付いた。記事には「治助の種芋を募集」、と書いてある。治助...その素朴な名前に惹かれた。

そうして、私は治助を栽培している農家の大野利明さんと出会った。林業を営んでいた大野さんは、日に焼けてがっしりした"山男"だった。大野さんは、土の形状やかぶせ方や肥料の組み合わせを小学生の頃から独自に研究しており、治助の品種を変えずに育てることができるのだという。「治助の栽培方法を記録しているのか」と尋ねると、ただ微笑んで自分の頭を人差し指で指した。「治助のことは、すべて頭に入っている」。そう呟く大野さんの姿は、まぶしかった。治助と、治助を守り続ける大野さんの姿を、映像で伝えたい!私は、強くそう思った。

初めて大野さんと出会ってから、治助栽培の様子を三か月も追い続けた。そして、ついに治助を収穫することになった。収穫した治助は、自家製の味噌をつけて頂いた。「これはおふくろの味なんだ」「治助は親の遺産」。微笑みながら、嬉しそうに治助を食べる大野さんは、まるで子どものようだった。治助そのものの魅力に加え、家族で代々、愛をこめてジャガイモを受け継いできたという事実に、私は感動した。

撮影も終了し、ドキュメンタリーの編集が後半に差し掛かった頃、ゼミ生の指摘で「治助のルーツはどこにあるのか」という疑問がわいてきた。そもそも「治助」とはなにか?そこから、治助のルーツ探しが始まった。

農林水産省の研究所に電話し、最終的に北海道でDNA鑑定をして頂いた。その結果、治助は、明治や大正時代に輸入された男爵薯やメークインよりも早く、日本に存在していることが分かった。日本にやってきた年代はまだ特定出来ないが、明治や大正時代に輸入された一般的なイモとは違うDNAを持つそうだ。つまり、かなり早い段階で日本に輸入された原種にちかいジャガイモが、何ら変化せずに奥多摩で残っていたのだ。改めて、治助のドキュメンタリーを制作することに大きな意味があると思った。

VTRが完成するまで、私は様々な場所に電話をかけた。電話でお話しただけで、直接会うことのなかった人もいるが、どの人も皆、温かかった。VTRは、決して一人で制作できるものではない。たくさんの人に支えられて、幻のイモ「治助」の全容を明らかにすることができた。

VTR制作を通して、私はかけがえのないものに出会うことができた。幻のジャガイモ、「治助」。そしてそのイモを愛し、歴史をつなごうとする大野さん。大野さんが大切にしている家族の絆。電話を通じて知り合った人々の温かさ。番組制作を行うことで、こんなにも多くの人と関わるとは、思ってもいなかった。

一見すると何もない山の中にも、確かな絆が存在していた。イモ「治助」に加えて、新たな出会いという収穫があったことを、私はきっと忘れないだろう。
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by tamatanweb | 2011-05-01 00:00 | 制作日誌

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 自分が一回り成長した場所、奥多摩 ~幻のジャガイモ「治助」を探して~   

総合政策学部 国際政策文化学科 3年 大湊 理沙



私は、第八〇回多摩探検隊「掘り起こせ!幻のジャガイモ」でリポーターを務めた。この番組は、奥多摩の山奥で古くから栽培されているジャガイモ「治助」を探してリポーターが奥多摩を訪ね歩くというものだ。治助は、アメリカ大陸の原産に近いDNAを持つ可能性もあると言われ、奥多摩では家庭菜園だけで生産・消費されてきた。このため、都心ではお目にかかれない、いわば幻のジャガイモである。

二〇一〇年六月、まだジャガイモの花も咲かない頃から撮影が始まった。私にとってこの「治助」は、ゼミに入って初めて取り組んだリポートだった。

そして、初めてJR青梅線に乗った。車窓から見える緑は、どんどん深くなっていく。終着駅・奥多摩駅に降り立って、すぐに撮影が始まった。奥多摩の街を歩き、地元の方々に「治助」を知っているか、と尋ねた。返答はほとんどが「知らない」というものだった。

奥多摩町役場で、現在も栽培している農家があると聞き、さっそく役場前からバスに乗って、峰谷という集落へ向かった。バス停で、「治助」を育てている大野利明さんが待っていてくださった。これからインタビューをしていく大野さんを前に、一気に緊張が走った。カメラの前で、リポートをしなければならないという責任が重くのしかかってきたからだ。上手くリポートができるだろうか。大野さんの言葉をしっかりと引き出せるだろうか。不安は大きくなる一方だった。

ガチガチになっている私に向かって、大野さんは「緊張しなくて大丈夫ですよ」と優しく声をかけてくれた。その言葉で一気に緊張が解け、自然と笑顔になった。そして、1回目の撮影とインタビューをなんとか終えて、無事に帰路についた。

しかし、ドキュメンタリーを制作するには、幻のジャガイモ「治助」の成長をおわなければならない。それから、幾度となく青梅線に乗り、大野さん宅を訪れた。葉が出始めた時、花が咲いた時、そして「治助」の収穫の時...。最初こそ緊張していたリポートだったが、撮影を経るごとに、大野さんと自然に会話できるようになっていった。

最後の撮影は、「治助」の収穫のシーンだった。お孫さんの彩ちゃん、椋(りょ)馬(うま)くんと山間の急斜面に作られた畑に収穫へ向かった。二人とも、おじいちゃんの作る「治助」が大好きだという。収穫の時期にはいつもおじいちゃんのお手伝いをしているらしく、虫を怖がる私をよそに率先して畑に入っていた。子ども用の小さな鍬を振るお孫さんを見る大野さんは、本当に優しい顔をしていた。 最後のインタビューの中で、大野さんは作りにくいジャガイモを作り続ける理由について、「母の味だから」とぽつりと話した。少し照れていらっしゃったが、その目の中には、大野さんのお母さんがいるように感じた。大野さんから、その言葉を引き出せたことを自分ながら嬉しく思った。

最後の撮影から、およそ二カ月。ゼミ生の前で、初めて番組が試写されることになった。町役場の方にインタビューをしている姿や、実際に芋を掘っている姿。様々な場面で、皆が笑ってくれた。この時初めて、私はリポーターという役割をきちんと果たせたのだと、安心した。

今回の番組制作を通して、私は初めて奥多摩を訪れた。奥多摩の、さらに山奥で、私は一回り成長することが出来た。番組制作に最初から最後まで携わり、自分に、少し自信がついた。

すべての撮影を終え、奥多摩から家路に向かう電車の車窓から見える山々は、なんだか昔から馴染みの景色に思えた。
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by tamatanweb | 2011-05-01 00:00 | 制作日誌