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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 私が流した1粒の涙   

総合政策学部政策科学科三年 野崎智也



二〇一三年二月、東京都昭島市立東小学校五年生の子どもたちと、「昭島子ども放送局」を行った。今回子どもたちは、昭島市に住む墨絵画家にインタビューをし、墨絵画家と一緒に墨絵を描いた。制作した番組は、第一〇九回「多摩探検隊」で「挑戦!墨絵描き」として放送された。私は、D(ディレクター)として、番組を制作した。

私は今回、「昭島子ども放送局」を行うに当たって、昭島市に住む魅力的な人物を探していた。そこで見つけた方が、本多豊國(とよくに)さん(六七)という墨絵画家だった。本多さんは、昭島から墨絵を広げるために、巨大墨絵のライブを行ったり、墨絵で絵本を描くなど、様々な活動を行っている。私はすぐに本多さんに連絡をとり、取材のお願いをした。

初めて本多さんに会ったのは、二〇一二年十二月下旬であった。凍えるような寒さの中、私は二人のゼミ生と共に本多さんの自宅へ伺った。いきなりの取材だったにも関わらず、本多さんと奥さんは温かい笑顔で私たちを迎えてくれた。

取材は滞りなく終わり、本多さんは番組への出演も快諾してくれた。

そして番組では、子どもたちが墨絵に挑戦し、本多さんと一緒に巨大墨絵(縦二メートル×横四メートル)を描く、ということになった。

二〇一三年二月二日、東小学校で撮影が行われた。子どもたちの無垢な笑顔を見て私は、「絶対に成功させなくては」と強く思った。そうして、撮影は始まった。

しかし撮影は、予定通りにはいかなかった。初めての撮影に慣れない子どもたちは、なかなかうまくリポートをすることが出来なかった。「私たちの指導が悪いのだろう」と思い、子どもに丁寧に説明をするように心掛けた。すると、どんどん時間が足りなくなっていった。負の連鎖が続いて焦っていた時、思わぬ事態が起きた。

 
「これは少しおかしくないかい」

本多さんが、私の演出、仕切りの悪さに不満を持ったのだ。私は番組内の演出で、子どもたちに短時間で墨を擦ってもらった。しかし、墨を擦るという作業は、実際にはもっと時間をかけて丹念に心を込めて行うものである。その作業をないがしろにしてしまったことが、本多さんの気に障ってしまったのだ。本多さんの指摘は全て的を射ていた。彼は、芸術のプロでもあり、パフォーマンスのプロでもある。私は何も言うことが出来なかった。子どもたちも含め、現場の雰囲気は一気に凍り付いた。
 
私と本多さんは教室を出て、話し合った。そこで墨については、本多さんに既成の墨汁を出してもらうことで解決した。

しかし、一度凍り付いてしまった現場の雰囲気は、簡単には戻らなかった。大学生スタッフもうつむき加減だ。私も必死に笑顔を作ったが、引きつっているのが自分でも分かった。

「ここで一回休憩にしようか!」この状況を打破してくれたのは、本多さんの息子・優太さんであった。優太さんは明るい声で現場を盛り上げてくれた。そしてなんといっても、驚いたのは子どもたちの対応である。子どもたちは常に笑顔でいてくれた。そのおかげで、本多さんの表情も緩んでいった。次第に現場は、元の和やかさを取り戻していった。

本来なら私たち大学生が撮影場所の雰囲気を作るはずが、逆に子どもたちや本多さん一家に助けられてしまった。そして撮影は無事終了した。
 
撮影から二週間後の二月一六日、同じく東小学校で、番組の上映会が行われた。この上映会には、本多さん夫婦も来る。しかし、私は本多さんに会うのが恐かった。撮影日にあれだけ迷惑をかけたのである。良い番組を上映できなかったら、今度こそ、「ディレクターとして失格だ!」と怒られてしまうのではないか、と思っていたのだ。私は上映会中も、本多さんの顔から目が離せなかった。

しかし、本多さんの顔から笑顔が消えることはなかった。そして上映会の最後に、本多さんは、「素晴らしい番組でしたね」と参加者全員の前で褒めてくれた。私は目頭が熱くなった。

上映会後、本多さん夫婦のもとへ行き、感謝の思いを伝えた。すると本多さんは、「あの時はきつい事を言ってしまったけど、この活動に参加できて本当に良かったよ。お疲れ様でした」と言って、握手をしてくれた。気がついたら私の頬には、スーッと一粒の涙が流れていた。

今回の撮影で感じたことは、現場で仕切る能力がいかに不足していたかである。私が事前準備で力を入れていたことは、カメラワークや細かい構成など、表面的なことばかりだ。しかし、実際に大事だったのは、本多さんのことを知った上でどういう演出ができるのか、どう子どもたちを動かすのか、そしてどう全体を仕切るのか、を考えることだった。そういった努力を怠れば、いくら面白いシナリオや配役があっても、「良い構成」は作れない。今回そのことを教えてくれたのが、本多さんであった。

本多さんは、墨絵を描くアーティストだ。「良いものをつくろう」という想いが人一倍に強い。だからこそ撮影中に、プロとして私たちへ向けて熱い言葉を掛けてくださったのだと思う。そのおかげで、私たちは番組を完成させることができた。
   
後日、本多さんの運営しているホームページを見ると、「昭島子ども放送局」のことが書いてあった。そこに書かれた私たちへのメッセージを丁寧に読んでいった。そこには、こう書かれていた。

「ゼミの学生たちもみんなよくがんばって、とてもよい結果を出したね」

私の手にはまだ、最後に交わした握手の温もりが残っている気がした...。
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by tamatanweb | 2013-10-01 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 「感動」の準備をしよう   

商学部商業貿易学科三年 三橋真紀子

今年三月、私は「昭島子ども放送局」の番組プロデューサーを務めた。子ども放送局とは、私が所属するFLP松野ゼミで行っている映像制作活動の一つで、子どもたちが自ら企画、取材、編集を行うことで、メディアリテラシー能力の向上を図るというものだ。その子ども放送局の活動で、今年は昭島市立東小学校の小学五年生六人と一緒に活動を行った。

活動の準備が始まったのは昨年十二月頃だった。私は番組のプロデューサーどころか、映像制作をするのが初めてだった。このため、まず何から手を付ければいいのかという根本からつまづいていた。まずは一緒に活動してくれる小学校を探すことから始めようと思い、以前何度か一緒に活動をしてくださった東小学校に声をかけた。私が電話をかけたときには、校長先生から快く「一緒にやりましょう」とのお返事を頂き、後日ご挨拶に伺うことにした。しかし、ここからが私の正念場だった。

待ち合わせの日時に学校に行き、校長先生に簡単に自己紹介をしてから、子ども放送局の進め方についてプレゼンした。まずは子ども放送局とは何なのか、ということを説明した。次に子ども放送局で得られる子どもたちの能力(ここではメディアリテラシー)についても述べた。私は「なんとか子ども放送局の良さを分かってもらいたい。良い活動にしたい」という一心で一方的に話し続けた。

しかし、次第に校長先生の顔が険しくなって行くのがわかった。プレゼンが終わった後に、校長先生から、厳しいご指摘をいただいた。

「若さゆえにやる気が先行しているのは分かるけれども、押し付けられているようでならない。まずあなたは私たちにお願いする立場なのだから、具体的に私たちにどんなことを準備して欲しいのかや、そちらがどんな準備をしてくれるのかなどを提示して欲しい」

私は、この校長先生のご指摘に、内心とても落ち込んだ。自分ではちゃんと準備したつもりだった。しかしそれは相手が本当に知りたい情報ではなかったのだ。小学校側はわざわざ授業時間外の時間を割いて、子どもたちを集めてくれる。また、撮影をするに当たって子どもに危険が及ぶようなことはさせられない。そのことを私は完全に見失い、一方的に子ども放送局の魅力について話すという見当違いなことをやってしまっていたのだということに気づいた。

そこからは毎回の小学校との打ち合わせが、私にとっての課題だった。(写真1)ディレクターの野崎と相談したり、他のゼミ生と相談しながら打ち合わせの内容を詰めていった。「活動をするに当たって、一体どんな情報を提供すれば、活動がスムーズに進むだろうか」、「小学校・親御さんはどうすれば安心して子どもたちを私たちに預けていただけるだろうか」などということを一生懸命考えた。ある時は保護者宛の手紙を作成して持って行き、ある時は小学校にお願いしたいことをリストにして送った。また、子どもたちが万が一活動中にけがをした場合に備えて、保険の資料も持って行った。校長先生は、いつも何か至らない私を、真正面からお叱りしてくださった。校長先生の目の先にはいつも、「子どもたちに危険が及ばないように。子どもたちの一生の思い出になるように」という思いがあったのを私は感じた。

そうして迎えた活動当日。撮影はディレクターが仕切り、進行して行った。(写真2)私は子どもたちが時間通りに家に帰れるよう、タイムマネジメントに徹した。撮影中は担任の先生や、校長先生も来てくださった。色々なアクシデントもありつつも、子どもたちにもけがは無く無事に撮影は終わった。

後日行われた上映会で、驚きの出来事があった。なんと子どもたちが感動して泣いていたのだ。「これでもう終わってしまうなんて寂しい」。(写真3)そう言って泣く子供たちの姿を見て、私の目にも熱いものがこみ上げた。

私は活動を通して「準備すること」の大切さを教わった。それを教えてくださった校長先生や、その「準備」に夜遅くまで付き合ってくれたゼミ生、そして感動して泣いてくれた子どもたちに、改めて感謝の気持を伝えたいと思う。

上映会から三ヵ月後、私は完成したDVDを持って、小学校を再訪した。久しぶりに会う子どもたちは六年生になり、少し大人になっていた。

そして最後に校長先生が、こういうメッセージをくださった。

「社会に出れば辛い事はたくさんある。でも学生時代にこうやって色んなことをしているあなたたちなら、きっと大丈夫です」

私に向けられたその目は、あの日子どもたちの無事を祈っていた目と一緒だった。

思わずこぼれそうになった涙をこらえながら、私は東小学校を後にした。
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by tamatanweb | 2013-10-01 00:00 | 昭島子ども放送局