無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 <   2013年 12月 ( 2 )   > この月の画像一覧   

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 戦争の記憶を後世に伝えるということ   

法学部政治学科四年 新家裕樹



2013年8月1日、第112回多摩探検隊『不発弾に刻まれた記憶〜調布に墜ちたB29〜』の放送が始まった。私の所属するFLPジャーナリズムプログラム松野ゼミでは、毎年8月、多摩地域の戦跡に関する映像を制作している。終戦から68年たった今年は、東京都調布市国領で2008年3月27日に発見された不発弾にまつわる物語を題材に、ドキュメンタリーを制作した。私は、この番組制作にディレクターとして携わった。

太平洋戦争末期、多くのB29が空襲のためサイパン島から日本に飛来した。空襲の第一目標となったのが、戦闘機の発動機生産で主要な位置にあった中島飛行機武蔵製作所(現在の武蔵野市内)である。1945年4月7日未明、この日も中島飛行機武蔵製作所をはじめとする軍事施設を狙い、B29の編隊がサイパン島から空襲に飛び立った。そして調布上空に差し掛かった頃、B29編隊の一機が迎撃のため待ち伏せていた日本の戦闘機「飛燕」に体当たりを受けた。体当たりによりエンジンを損傷したB29は、きりもみ飛行となり、その後、空中分解。バラバラになった破片は調布の各地に墜落した。 墜落したのは第875爆撃飛行隊所属の「Mrs.Titty mouse」という愛称を持ったB29である。「Mrs.Titty mouse」の残骸は、墜落後まもなく、現場に駆け付けた旧日本軍の憲兵によって回収された。しかし、国領の畑に落ちた爆弾は回収されることなく、残されてしまったのである。そして63年後の2008年3月27日、京王線の地下化工事に伴い「Mrs. Titty mouse」の落とした爆弾が不発弾として発見された。

私がこの不発弾のことを知ったのはある新聞記事を読んだ時のことだった。紙面には、不発弾を積んでいたB29が体当たりされる瞬間を見たという岩崎清吾さんの証言が書かれていた。 不発弾といえば、『目標を攻撃するために落としたが不発に終わった爆弾』という風に考えていた。しかし、この爆弾は日本軍の迎撃により空中分解したB29から、図らずも落ちていった爆弾かもしれないというのだ。私は少し変わったこの不発弾に興味を持った。岩崎さんに会えば、不発弾について詳しくお話をお伺いできるかもしれない。そう考えた私は、すぐに彼に取材を申し込んだ。

5月16日。調布市内のカフェで、私はB29撃墜の目撃者である岩崎清吾さんにお会いした。1945年当時、13歳だった岩崎さんは、日本の戦闘機『飛燕』に体当たりされ、空中分解しながら墜ちていくB29の様子を目撃したという。岩崎さんへの取材の中で、私は、このB29撃墜について多くのことを知った。12人いたB29の乗組員は、墜落時に一人を残して全員亡くなっているということ、そして墜落した機体主翼の直撃を受け、日本人一家8人が全員死亡していたということ。私はこの不発弾の話に、初めて戦争の悲惨さを感じた。多くの人が知る不発弾の裏側には、あまり知られていない悲惨な事実が埋もれている。この事実を少しでも多くの人に伝えたい。そんな思いから、ドキュメンタリー制作はスタートした。

しかし、制作はすぐに壁にぶつかった。取材対象者が見つからないのだ。戦後68年、当時を知る人は、ほとんどの方が80歳を超えている。連絡先を突き止めてから、亡くなったことを知るということもしばしばあった。やっと話せる方を見つけても、取材を断られることもあった。当時、墜落した機体の残骸を目撃したという方を知り、電話先で取材をお願いした時の事だった。 「埋もれている事実を伝えたい」という思いを伝えた時、逆に「それでどうするのか?」と問われ、黙ってしまった。自分は、埋もれたものをただ伝えればいいと考えていた。しかし、伝えてどうしたいのか。なんのために伝えるのか考えていなかった。瞬間、目の前が真っ白になった。いったい自分は何のためにやっているのか。本当に、ドキュメンタリー制作をしていいのか。受話器を握っていた手は汗ばんでいた。

「何のために、埋もれた戦争の事実を伝えるのか」。そんな疑問を抱えたまま、目撃者である岩崎清吾さんに再度会いに行った。番組への出演を依頼するためだった。再度自分たちの活動を説明し、制作する番組に出てほしい、そう伝えた時だった。ふと岩崎さんが、戦時中の話をしてくれた。初めて会った時には、聞くことのできなかった話だった。 「自分は、まだ若く戦地にはいかなかった。しかし、内地にいても食料不足や連日の空襲で地獄のような日々だった。自分の目の前に焼夷弾の破片が落ちた時の恐怖は、今でもよく覚えている。あの経験を若い人に味わってほしくない、戦争はもう絶対にやっちゃいけないよ」 うつむきながらポツリポツリと絞り出すように話してくれたその経験に、私は衝撃を受けた。その時、自分がなんのために戦時中の埋もれた事実を掘り起こすのかが分かったような気がした。

平和な時代に生まれ、平和な時代を生きてきた人にとって、戦争の恐ろしさを知ることは難しい。しかし、戦時中を知る人々の証言を多くの人に伝えれば、戦争というものの現実を後世に伝えられるかもしれない。そうすることで、戦争を繰り返してはいけないと考える人が、平和を希求する人が、少しでも増えるかもしれない。そのためにありのままの埋もれた事実を伝えるのだ。 自分の進むべき道が見えた気がした。もう私に迷いはなかった。
[PR]

by tamatanweb | 2013-12-01 00:00 | 制作日誌

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 調布に墜ちたB29から伝えられること   

法学部政治学科四年 高安豪



私の所属するFLP松野良一ゼミでは、毎年八月に、四年生が「戦争と平和」をテーマとした番組を制作することになっている。今年は「一九四五年四月七日、日本の戦闘機による体当たりを受け調布に墜落したB29」を題材としたドキュメンタリー番組を制作した。この番組をつくるにあたり、私はプロデューサーとして、制作に参加した。

私がこの題材を見つけたのは、ゼミ生と共に題材を調べ始めた二〇一三年六月のこと。二〇一〇年三月二三日付の読売新聞地方版の記事を見つけたのがきっかけだった。その記事には、当時、体当たりの瞬間を目撃した岩崎清吾さん(八〇)という方のインタビューが取り上げられていた。私たちはさらに詳しいことが知りたいと思い、すぐに彼に連絡を取り、調布市に向かった。

調布市文化会館に併設する喫茶店で、私たちは岩崎さんと面会した。彼は事故当時の様子を落ち着いた様子で事細かに語った。調布飛行場から日本の戦闘機「飛燕」が飛び立つ音、B29が梯団で飛来してくる様子、「飛燕」が体当たりをする瞬間、落下してくるB29の破片から逃げる様子。新聞記事だけでは伝わらない、現場に遭遇した人にしか分からない、臨場感あふれる話であった。

更に、二〇〇八年五月にニュースや新聞でも話題となった、調布市で発見された不発弾が、一九四五年四月七日に墜落したB29から落下したものだという事実を教えてもらった。まさか、二〇〇八年に調布市で見つかった不発弾が「飛燕の体当たりによって墜落したB29が積んでいた爆弾」だということは知らなかったので、大変驚いた。日本各地で不発弾が発見されることはあるが、このような事実があることはとても珍しい。不発弾処理が行われた記録は沢山ある中、この調布市の不発弾に隠された事実はほとんど知られていない。この歴史的事実を、当時を知る人たちの証言を元に掘り起こし、ドキュメンタリーとして制作したい。そして、多くの人に知ってもらいたいと思った。

その後、岩崎さんの紹介や当時の資料を頼りに、当時のことを知る人たち数人を探しだした。それから番組の撮影が始まった。不発弾の発見現場に住む方、自宅の畑にB29の発動機が落下した方、B29の墜落現場に駆けつけた方などにインタビューをした。しかし、編集作業に取り組む中で、目撃者の証言だけを記録するだけで、本当にいいのかと感じてきた。番組を見る人が知りたいことは何か。「戦争と平和」について考えてもらえるような番組にするにはどうすればいいのかと迷いが生じた。何度もゼミ生と話し合い、構成を練り直した。

制作スタッフと何度も話し合いを重ねた結果、目撃者だけではなく、B29に体当たりをした飛燕のパイロットである古波津里英さん(元陸軍少尉)についても、取り上げることにした。古波津さんは体当たりの後、落下傘により無事、地上に着地した。しかし、古波津さんは二〇〇六年に亡くなっており、証言を撮ることができない。どうにかして、古波津さんのことを番組内で取り上げたいと考え、あらゆる資料を探しだした。そして、なんとか古波津さんが書き残した手記を見つけることができた。この手記は「別冊1億人の昭和史 特別攻撃隊」(毎日新聞社)という本の中に残されていた。取材対象者の一人である、小林耕一さん(八三)がたまたま持っており、偶然にも見つけることができた。

古波津さんの手記の中には、体当たりをした時の様子や、B29の墜落現場を見た時の様子が克明に記されていた。手記には「少し離れた路傍には十人ほどの乗員の遺体が並べられ、その中には十六、七歳と思われる童顔もあり、戦争中とはいえ胸の痛みを感じ、心から冥福を祈った」とあった。この手記を読んだ時に、戦争の悲惨さを改めて感じた。このことを伝えてこそ「戦争と平和」をテーマとした番組が作れるのではないかと気づいた。

当時の軍人が何を考え、心の中でどのような葛藤をしていたのか。敵国人とはいえ未来のある若者が、命を落とさなくてはいけない。古波津さんも、この時、戦争の悲惨さを感じ、このように書き残したのではないか。そこまで描くことができる番組を作りたいと思った。
 
その後編集を進め、二〇一三年七月末、ドキュメンタリー番組「不発弾に刻まれた記憶~調布に墜ちたB29~」は完成した。二〇〇八年に調布市で見つかった不発弾に隠された事実を掘り起こすことのできた作品となった。古波津さんの手記を取り上げたことで、当時のことを記録しただけの番組ではなく、戦争という「悲惨な過去」を伝え「平和」について再考してもらえるような番組ができたのではないかと思う。

二〇〇八年に調布市で見つかった不発弾の事は知っていても、一九四五年四月七日に調布に墜落したB29のことを知る人は数少ない。そして、今後、当時の記憶はさらに風化していくだろう。取材に協力して下さった方々も皆「当時のことを少しでも伝えられたら」と言っていた。その人たちの思いを、そして、古波津さんが当時感じていたことを発信することで「戦争と平和」について、少しでも多くの人が考えてくれればと思う。戦争を経験した人たちの記憶を残すこと。小さなことではあるが、そういったことの積み重ねが平和へと繋がるはずだ。戦争のない平和な世の中がいつまでも続いて欲しいと強く感じることのできた二カ月間であった。
[PR]

by tamatanweb | 2013-12-01 00:00 | 制作日誌