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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 清瀬子ども放送局の活動を終えて   

中央大学経済学部公共環境経済学科二年 堀内新 

二〇一三年五月、私は「清瀬子ども放送局」の活動に参加した。子ども放送局とは、FLP松野ゼミで行っている映像制作活動の一つだ。子どもたちが自ら企画、取材、編集を行うことで、メディアリテラシー能力の向上を図る。今回は、清瀬JLCの子どもたちと大学生がサッカーの試合を行い、番組を制作した。清瀬JLCとは、東京都清瀬市に住む子どもたちが参加するクラブのことだ。農業体験やサマーキャンプなどの活動を通して、将来のリーダーとなる人材を育成すること目的としている。私はその活動にVTRの責任者であるディレクターとして携わった。

 四月下旬に清瀬市児童センター(コロポックル)で清瀬JLCの子どもたち三十人と初めての企画会議を行った。私は、サッカー大会でリポーターをする子ども二人とインタビュアーをする三人と話し合うことになった。まず、私がリポーターにどんな質問をしたいのかを聞き、次にインタビュアーの子どもたちに出た質問にどのように答えたいかを聞いていった。五人全員に等しく意見を聞こうと、どの子にも同じように質問していた。子どもたちからもたくさんの意見が出て、会議は順調に進んだ。しかし、その中に一人だけうつむいたまま何も反応をしない女の子がいた。私は、心のどこかでその子が気にかかっていたが、「ほかの子と同じように聞いても返事がないのであれば仕方がない」と諦めて、よく発言する子ばかりに質問した。

会議が終わった後、清瀬JLCの担当者と大学生で子どもたち一人ひとりについての情報を共有する機会があった。私はそこで清瀬JLCの担当者の方から、ある一人のインタビュアーの子についての話を聞いた。その子は会議の中で一言も話すことのなかった子だった。その子はもともと非常に内気な性格で清瀬JLCに入った頃は、立って自己紹介することさえ出来なかったそうだ。しかし、清瀬JLCの活動に参加するうちに次第に話せるようになり、今回初めて自分からインタビュアーをしたいと立候補したという。私は、その話を聞いて、彼女の積極的に参加しようとする意思を生かせなかったことを後悔した。そして、清瀬JLCの担当者の方に会議中に彼女がほとんど発言しなかったことを話した。すると、「目線を合わせてみてください。そうすれば子どもは必ず応えてくれますから」とアドバイスを頂いた。正直、そんなことで何か変わるとは思えなかった。しかし、思い返してみると私は、企画会議の時、子どもたちを見下ろして話しており、アイコンタクトもあまり取れていなかった。次回は目線を合わせてみよう。そう決意した。

 五月二十六日、サッカー大会当日。私は、照れ屋だという女の子を見つけた。テントの下に座っていた彼女の横に座って「おはよう」と声をかけた。すると彼女は少し緊張した様子で「おはよう」と返してくれた。特別なことではなかったが、私は彼女と初めて会話することができてとても嬉しかった。そこで続けて、小学校での生活を質問してみた。すると、彼女はとても楽しそうに学校生活のことや、趣味について話してくれた。私は、こんなに明るく話す子が、企画会議でほとんど話してくれなかったのかを不思議に思い、本人に聞いてみた。すると一言、「恐かった」という言葉が返ってきた。ハッとした。目線を合わせないことが、ここまで子どもに威圧感を与えてしまっていたことに気づかされた。私は反省を生かすためにもその日の活動中はアイコンタクトや笑顔を心がけながら積極的に子どもたちと関わった。すると明らかに子どもたちの反応が変わった。気づけば私の周りは多くの子どもたちが取り囲むようになっていた。サッカー大会が終わった後、彼女が私に近づいてきて笑顔で一言「今日はとても楽しかった」と言ってくれた。私は目頭が熱くなった。

私は、今回の活動で子ども一人ひとりの性格がまったく違うことを知った。どんな風に話しかけても答えてくれる子もいれば、こちらが歩みよる必要がある子もいる。平等に接するのではなく、公正に接することで子どもが心を開きやすい環境を作り、その子の良さを引き出すこと。これが私たち、大学生が子ども放送局の中で『教育者』としてすべきことだと確信した。
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by tamatanweb | 2014-01-01 00:00 | 制作日誌

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 繋がる人の輪・感じる人の和   

法学部政治学科2年 富澤真子

私は二〇一三年の夏を、あるお祭りに捧げた。

 同年八月十日に、福井県高浜町で地元の小学生と一緒に「若狭たかはま子ども放送局」の活動を行った。高浜町には「漁火想」」という二〇〇三年から続いているお祭りがある。そのお祭りを子どもたちにリポートしてもらい、番組を制作した。私はディレクターとして、番組の構成や編集を行った。

 若狭たかはま子ども放送局は、漁火想を第一回から取り上げており、今回で十一回目を迎えた。私は漁火想についての知識がなかったため、まず漁火想について調べることにした。

 私が漁火想ホームページを開いた時、漁火想のコンセプト、「人の和によるまちづくり」が目に飛び込んできた。なぜ、「輪」ではなく「和」を使用しているのか。その理由は、「漁火想は人の出会いを目的としたイベントであり、単に人の輪を繋ぐだけでなく、相手を思いやる和みが必要」なのだという。祭りが十一年続いてきた訳は、この「相手を思いやる気持ち」だと私は感じた。どうにかして、この「人の和」を表現し、伝えたいと思った。

私は祭りの参加者をポラロイド写真に撮り、ボードの上に輪として配置することで「人の和」を表現する、企画を思いついた。つまり、参加者に手で輪を作ってもらい、写真を撮る。その写真を、「輪」のように配置デザインして、それが完成していく様子を撮影していくという企画だ。この企画は先輩達から「いいね!」という言葉を貰うことができた。

そして、漁火想当日。気温は三十度を超える真夏日であった。じりじりと照りつける太陽の下、撮影は始まった。

小学生たちのリポートは非常に上手だった。タイムスケジュールも概ね予定通り進行することができ、撮影は私が覚悟していたよりも円滑に進んだ。
何もかもが順調だった。しかし、一つ問題が起きた。

撮ったはずの写真が白く焼けてしまい、何も写っていない写真があったのだ。真夏日であったために、カメラのフィルムが焼けてしまい、うまく写らなくなってしまっていた。

焼けた写真は「やぐらドラゴン」という花火師集団の方を撮ったものだった。私はもう一度写真を撮影することを試みた。協力してもらった方を見つけて再撮影をお願いしたが持ってきたカメラがフィルム切れで撮れず、もう一台のカメラを持ってきて、もう一度写真を撮った。しかし、甘かった。そのカメラのフィルムも焼けていたのだ。そして、新しいフィルムをセットし、もう一度やぐらドラゴンの方のところへ走ったが、時すでに遅し。花火師はパフォーマンスの準備をしており、撮影をお願いできそうになかった。もはや、待つことしかできなかった。私の周りには、やぐらドラゴンのパフォーマンスを楽しみに待っているひとばかりだった。そんな中で私はいつお伺いできるだろうか、このまま日が暮れたらどうしようか、と思い、焦っていた。一瞬、花火師の方が出てきた時があった。今しかない、と思った。出てきた方に「撮影は可能ですか」と聞くと、「大丈夫だよ」と優しく了解してくださった。すでに何度もお願いし撮影に失敗していたにもかかわらず、花火師の方は笑顔で再度の写真撮影に応じてくださった。そして今度こそは、と思い、二枚撮影した。案の定一枚目は焼けてしまっていたが、二枚目はうまく撮影することができた。そうして撮影全て終えることができた。

完成した「漁火想」の映像は、翌日の上映会にて上映された。上映会にはリポーターの子どもたちとそのご両親、そして漁火想実行委員会の方がいらっしゃった。子どもたちは自分たちのリポートを恥ずかしそうに、それでいて誇らしげに見ていた。また来て下さった方の中には涙を流している方もいらっしゃった。最後に、漁火想実行委員長からプレゼントを受け取ったゼミの先輩プロデューサーは、涙を流した。その光景を見て、私も目頭が熱くなった。

今回、私は力不足だった。しかし、何度も撮影をお願いしたのにも関わらず協力してくださった方や、また私たちの体調を気遣ってくださった方たち、そして何より漁火想スタッフの方の協力のおかげで無事にプロジェクトを終えることができた。高浜町の方々は、初対面の学生たちに、とても優しく接してくださった。今回の活動を通して、私は身を持って「人の和」を感じることができた。また、活動に参加したメンバー全員の協力もあって無事に終えることができた。私たちゼミ生たちの間にも「人の和」がうまれたように感じた。そして、人との出会いや繋がりを大切にしようと思うようになった。
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by tamatanweb | 2014-01-01 00:00 | 制作日誌