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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 絵手紙から見えてきたもう一つの東日本大震災の傷あと   

総合政策学部政策科学科三年 渡邉日菜

 私は、第120回多摩探検隊「絵手紙に綴られた東日本大震災 狛江―石巻」のディレクターを務めた。東日本震災後に書かれた絵手紙と、そこに込められた被災者の思いに迫るドキュメンタリーである。
今回はカメラを持って被災地である仙台と石巻に赴き、被災者の方にも直接取材を行った。
 仮設住宅での絵手紙教室を取材中、震災後初めて、絵手紙に震災についての思いを綴った男性がいた。どうしようかと迷っていたところを、「書いたら心の重みも少し軽くなるかもしれないから、書いてみたら?」と、講師の方に勧められ、筆を執ったという。

「振り返ってもしょうがない
前に進むしかないのだ
ありがとうの気持ち忘れないで」

 その時、絵手紙が心を癒すと信じていた私は男性に質問した。
「絵手紙を書くことで、癒されたり、スッキリしたりしたなどの心境の変化はございますか?」
しかしその質問に対する男性の回答は、私たちの期待していたものではなかった。
「わからない」。
そう聞いた時、「これでは私たちの思っているような番組にはならない」と思ってしまった。今思えば、大変おこがましいことだが、その時は、「絵手紙を書くとスッキリする。癒されたよ」という言葉をもらいたかったのだ。
当初、「狛江市で生まれた絵手紙は、被災者の心のケアに役立っていました」と番組をまとめる予定でいた。しかし「絵手紙を書いて癒されたかどうかは分からない」と男性が語ったことで、これでは絵手紙は被災者の心のケアに役立ってないということになってしまうと思ってしまったのだ。
 「癒されているかわからない」と言った男性が、同時に「絵手紙教室は楽しい。毎回来ているんだ」とも語った。私には、その微妙で繊細な意味が、その時は分からなかったのだ。
彼は何を求めて絵手紙教室に通っているのだろうか・・・?疑問はますます深まっていった。
絵手紙教室に通う人の多くが、「絵手紙教室に来て明るくなれた」と語っている。しかし絵手紙を見ると内容は普通の、震災とは関係ないことばかりである。
絵手紙に辛い感情を吐露することで、悲しみを昇華して、明るくなれるのではないのか?そうでないとしたら、被災者の足が絵手紙教室に向かう理由は何故なのだろう?
何も理解できないまま東京に戻った。しかし何度も何度も撮影したものを見返し、取材班の中で議論を重ねていくうちに、自分たちの最初の認識が間違っていたのではないかと思い始めた。「絵手紙は心の傷を癒す特効薬ではない。しかし、全く効果がない訳ではない。絵手紙は心を癒すきっかけや、同じ境遇の被災者とつながる場を提供しているのではないか。人々は絵手紙教室に来て同じ境遇の人と会話をしたり、交流を持ったりする。だからこそ、被災者は絵手紙教室に来て明るくなれるのではないか」と。
 そう気付くとと、絵手紙を使った心の支援の効果を単に伝える番組ではなく、被災者が何に苦しみ、何に悲しんでいるのか、ありのまま声も伝える番組にしたいと思うようになった。
震災直後は物的支援が第一優先だった。しかし震災から3年たった今、被災地では「心の支援」も求められている。
 取材中、震災で母親を亡くしたある女性が語ってくれた、忘れられない言葉がある。
「震災直後に比べたら、今はいいなと思うようになったの。そう思わないと、頭おかしくなるもの・・・」。
震災直後と比較して、現在は環境が改善されたと思い直し、自分の心を気付かないうちに安定させようとしているのかなと思った。心の自然治癒力というか、心の持ち方で、現実をなんとか生きていこうとしている被災者の人たちの姿を見たような気がした。
被災者の中には、悲しみや痛みの持って行き場がなく、精神病になってしまったり、自殺したりしてしまう人もいる。一見明るく生きているように見える被災者も、自分で感情にふたをし、ごまかしながら、あるいは意味づけを変えながら、毎日毎日を必死に生きているのかもしれない。

 一連の取材を通して、物質的なものは復興作業が進んでいるように見えた。しかし、被災者の方々は、決壊寸前のダムに抱えきれないほどの悲しみや後悔、戸惑い、絶望を抱えながら生きているのではないかと思うようになった。東日本大震災がもたらした物質破壊は復興できても、精神的破壊を復興させることは難しいし、時間がかかる。絵手紙は被災者の心を癒すためのきっかけにはなっているが、すべてではないことを思い知らされた。しかしそのような状況の中でも、前向きに生きようとされている方々の姿も多く見た。復興や支援のあり方はどうあるべきか。そして、人間とは何かという究極の問いについても、現場で考えることになった取材だった。

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by tamatanweb | 2014-08-01 00:00

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 人の支えで乗り越えられた壁   

法学部法律学科三年 西巻郁里

 人は、その漢字の通り支えられながら生きている。ひとりでは出来ないことが、チームを作って支え合うことで出来るようになる。今までもそう頭では分かっていたが、実際に人の力をこれほどまでに感じたことはなかった。

今回、わたしは神奈川県川崎市で初めて行われた「たまゆり子ども放送局」で撮影チームを組み、番組ディレクターを務めた。子ども放送局とは、私の所属するFLPジャーナリズムプログラム松野良一ゼミで行っている映像制作活動の一つである。

たまゆり子ども放送局は、川崎市麻生区にある田園調布学園大学で2005年から行われている「ミニたまゆり」というイベントを取材するという形で行われた。ミニたまゆりとは、子どもたちが市民となって大学内に一つの町をつくるというイベントで2014年は2月8日、9日に行われる予定であった。私たちは今回、子どもリポーターにミニたまゆりを体験してもらい、リポートしてもらうという企画を立て、11月半ばからずっと会議を重ね、準備を進めてきた。

 しかし、ミニたまゆり当日、思いもよらないことが起きた。なんと、20年に一度と言われるほどの大雪になってしまったのだ。朝にミニたまゆりのホームページを何度もチェックし、中止にならないことを祈った。雪で遅延した電車に乗って、なんとか会場についた。すると、着くやいなや「本日は13:00までの開催です」との知らせが舞い込んできた。しかも、明日は中止だという。2日間にわたって撮影をする予定で計画を立てていた私たちは大ピンチであった。子どもリポーターたちも不安そうな顔をしていた。しかし大学生の焦りが伝わってしまうと、子どもたちの表情も暗くなってしまう。そう思い、必死に明るく振舞った。

 頭の中はパニックだった。番組ディレクターは撮影や番組の指揮監督のようなものであり、私はみんなが「どうしたらいいのか」を指示しなくてはいけなかった。13:00までに撮り終えられるのはどの部分か、ストーリーを繋げるにはどの部分が必要かを考えた。結局、番組に必要な最低限ところだけをピックアップし、時間内でできるだけ撮影を進めることにした。しかし、問題はそれだけではなかった。子どもたちが働く体験をするのに食堂にあるクレープ屋さんを選んでいたが、イベントが中止になるため最後に何か食べておこうと思う人々で、食堂は大混雑していたのだ。そのままではとてもカメラが入れる隙間はなく、クレープ作りをリポートさせることも不可能であった。その時、プロジェクトに協力してくれていた田園調布学園大学の学生スタッフが、「今から撮影します!少しスペースを空けてください!お願いします!」と声掛けをしてくれた。慣れていない場所で思うように動けない私たちにとって、救いの一言だった。そのおかげで、クレープ屋さんで仕事体験の撮影を、無事終えることができた。

 そうして、途中まで撮影を終えたところでイベントは中止になった。予定の半分以下しか撮り終えていないまま、帰宅しなければならなくなってしまった。今までの準備が全て無駄になってしまうかもしれない、途中までしか撮れなかった映像をどうしたらいいのだろう・・・と、帰りの電車では涙がこぼれてきた。

 次の日、朝から撮影クルーの仲間と話し合いをした。そこで話し合ったのは、「今ある映像をどうやったら番組としてストーリーにできるか」。一晩明けて、冷静に考えられるようになっていた。みんなが真剣に考え、後日にミニたまゆりのスタッフにインタビューをしたらいいのではないか、準備をしてきた人達の苦労を聞き出せばもっと面白くなるのではないか、とたくさんの意見を出してくれた。私はディレクターという立場にありながら、みんなにこれほどまでに助けられていることに心底情けなく、同時に感謝していた。

後日、ミニたまゆりの子ども市長や、イベントを統括していた教授を子どもリポーターにインタビューしてもらい、「中止になった」ことを逆手にとった番組を作ることができた。こうしたことも、一重に子ども市長やリポーターとその親御さん、教授、学生スタッフの皆さんに協力してもらえたからこそだった。私が今回「大雪」というどうすることもできない壁にぶつかった中で一番感じたことは、多くの人に助けられたからこそ、壁を乗り越えられたということだ。たくさんの人に支えられて、ようやく番組ができた。そのことを決して偶然と思うことなく、今度は私が人の支えになりたいと思った。



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by tamatanweb | 2014-08-01 00:00