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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 「台湾二二八事件」受難者遺族の思いに触れて -アメリカ・台湾取材後記-   

法学部法律学科三年 本庄 真衣

 二〇一四年秋。ゼミ活動の一環で、私が執筆したルポルタージュが『中央評論』秋号(中央大学出版部)に掲載される。テーマは「台湾二二八事件」。一九四七年二月二八日、日本が敗戦し中国国民党が台湾を接収したばかりの台湾で起きた、台湾人と中国国民党の間の抗争のことである。この事件の受難者には日本に留学していた方が多く、その中に中央大学の卒業生も含まれていた。

 私の所属するFLP松野ゼミでは二〇一二年から、中央大学出身の二二八事件受難者遺族から話を聞き、その証言を記録する活動を行っている。事件当時を知る人の高齢化が進む中で、受難者遺族の証言は貴重なものとなっている。

 二〇一四年五月六日、私は李藍慎(り らんしん)さん(九二)にお話を伺うためアメリカのヒューストンにいた。彼女の夫・李瑞峰(ずいほう)氏は中央大学法科を卒業し、台湾で弁護士の職に就いていた。瑞峰氏はちょうど私の先輩にあたる方だ。藍慎さんによると、瑞峰氏は事件後の三月一〇日に憲兵隊に連行され、その後台北の淡水河で銃殺された。夫の亡き後一家の大黒柱となった藍慎さんは、仕事のため一九八〇年からアメリカに住んでいる。

 藍慎さんには、瑞峰氏が連行された時の様子や事件後の生活を中心に話を伺った。取材中、私は質問をするのに苦労した。藍慎さんは、普通の会話では明るく優しい笑顔を見せてくれるのに、事件の話になると表情が暗くなっていく。私の質問に対して「忘れてしまった、思い出せない」と答えることが多かった。藍慎さんにとって、事件当時のことは思い出したくもないことだったのだ。私は、どこまで話を掘り下げてよいのか戸惑った。しかし藍慎さんは「夫の後輩だから」といって、忘れようとしてきた過去を一生懸命語ってくださった。事件について藍慎さんが語る言葉の数は少なかったが、そこには受け止めきれないほどの思いがあることを感じた。

 取材を終え藍慎さんにお礼の言葉を言うと、藍慎さんはこう返してくれた。

 「私の方こそ、感謝していますよ。私は夫を助けてあげることもできなかったの。だからあの時のことは、今まで忘れようと努めて生きてきたの。運命だと思わないと生きていけない。でも本当は、みんなにわかってもらいたいの。うちの主人の境遇を、やっとみんなにわかってもらえると思うとね、私嬉しく思うの。きっと、主人たちも嬉しいと思いますよ…」

 この言葉を聞いた時、私は「みんなにわかってもらいたい」という藍慎さんの思いに応えたいと思った。そして取材後、事件と瑞峰氏について理解をより深めるため、台湾へ渡った。台湾では、瑞峰氏が銃殺されたといわれる淡水河を訪れた。瑞峰氏のことを思いながら淡水河の夕日を眺めると、思わず涙が溢れてきた。

 今まで一度も日本の外に出たことがなかった私が、アメリカと台湾で見聞きしたことは一生忘れられない経験となった。


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by tamatanweb | 2015-01-01 00:00

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 台湾二二八事件プロジェクトをやり遂げて   

総合政策学部政策科学科三年 澤田紫門

 私が所属するFLPジャーナリズムプログラム松野良一ゼミでは、2011年から「台湾二二八事件プロジェクト」を進めている。本プロジェクトの内容は中央大学出身の台湾二二八事件受難者遺族の方々に取材を行い、証言を記録するというもの。このプロジェクトには8名のゼミ生が参加した。実際に取材をした受難者遺族の方々は計8名。取材のために台湾では台北、高雄、屏東、台南、アメリカではテキサス州ヒューストンを実際に訪れた。海外へ足を運んだ回数は計7回にものぼる。2014年11月に、中央評論秋号「特集・台湾二二八事件と中央大学卒業生」の発行を目指し、今まで活動してきた。

 台湾二二八事件とは、終戦後、大陸からやってきた中国国民党による台湾土着民への大規模な虐殺事件のこと。大陸から台湾へきた人々を外省人、もともと台湾に住んでいた人々は本省人と呼ばれた。本省人たちは日本統治からの解放と祖国復帰に沸き立ち、「光復」を祝った。本省人たちの思いとは裏腹に、国民党による統治はあまりにも杜撰で、「犬が去って、豚が来た」と揶揄された。「日本はワンワンうるさいが番犬になった、中国はただ貪り食うだけで何の役にも立たない」という意味だ。一九四七(昭和二二)年二月二八日、本省人たちが、大規模なデモを敢行。しかし国民党の憲兵隊はこれに機銃掃射で応戦し、多くの本省人たちが虐殺された。この時に、戦中日本の大学で学んだ台湾人エリートの多くが虐殺された。中央大学出身の受難者も数多くいる。

 台湾二二八事件について調査しようと決意したのは、台北二二八紀念館に展示されている中央大学の学生帽を発見した時。台湾二二八事件と中央大学にはどのような関係があるのか...。しかし、受難者遺族探しは困難を極めた。台湾では1987年まで戒厳令が敷かれており、厳しい言論弾圧の時代が続いた。そのため同事件について話すことはタブーとされた。事件から60年以上経った現在でも、多くの人々は二二八事件について口を閉ざしたままだ。

 台北二二八紀念館や二二八國家紀念館、遺族団体の協力のもと、2年以上を費やし、8名もの受難者遺族にたどりつくことができた。「事件当時の体験を日本の人々にも伝えてほしい」といって下さった方もいたが、「つらい記憶だからあまり思い出したくない」と語った方もいらっしゃった。しかし遺族の方々は心の奥底で、「自分たちが体験した現実を知ってほしい」という共通の思いを抱いていることに気付いた。

 台湾には、年間で多くの日本人観光客が訪れる。本プロジェクトに参加する以前は、台湾に対して観光地のイメージが強く、中央大学との関わりは皆無だと思っていた。しかし、二二八事件で受難された方々の多くが私たちの先輩であると知り、後輩である私たちがこの事件について伝え広めたいと決意するようになった。そしてこの特集号が、二二八事件受難者やその遺族の心境を日本の人々に訴えていく上で、少しでも貢献できれば嬉しく思う。




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by tamatanweb | 2015-01-01 00:00