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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 青い目の人形プロジェクト(Doll project)   

法学部法律学科 平成26年度卒業 森亮介

 私は多摩探検隊で「青い目の人形」プロジェクト(Doll Project)に関するドキュメンタリーを制作した。同プロジェクトとは、一九二七年に日米親善のために、アメリカから日本に大量の「青い目の人形」が贈られたことをいう。なぜ、人形は贈られたのか。それを説明するには、当時の歴史を理解せねばならない。

 一九〇五年、日露戦争に勝利し満州の権益を握った日本は、同じく満州の権益獲得を目指していたアメリカの不信感を招いた。さらにアメリカ国内では、低賃金でよく働く日本人移民がアメリカ人の仕事を奪うとして排日感情が高まり、一九二四年に排日移民法が成立した。アジア移民の大半である日本人が排除されることとなったため、日本では逆に、米国に対する抗議活動が起きた。この日米間の関係悪化を危惧した人物がいた。約二〇年間、日本の教育に従事した親日家のシドニー・ルイス・ギューリック牧師だった。「平和の実現には、幼少期からの異文化理解が大切」。そう考えたギューリック牧師は、 日本に古くから根付いている人形文化に注目し、三月三日の雛祭りにアメリカ人形を贈る計画を立てた。伝統行事にアメリカ人形を加えることが、子供達の異文化理解の糸口になると考えたのである。これに共感した実業家・渋沢栄一氏が仲介となり、一九二七年三月、アメリカ人形一万二七三九体が日本の小学校・幼稚園へ贈られた。返礼として、日本人形五八体が海を渡った。日本においては「青い目の人形」と親しまれ大歓迎を受けた。しかし、太平洋戦争勃発と同時に敵国人形として扱われ始めた。「敵国人形を叩き壊せ」と世論が煽られると、「青い目の人形」を竹やりで突いたり燃やしたりする運動が全国各地で起きた。

 東京都日の出町に住む清水浩さん(八〇)は国民学校三年生の時、登校時に門のところで「青い目の人形」を強制的に踏みつけさせられて学校に入った。「変なことをしてしまったという思いと、踏んだ時の嫌な感触が今でも忘れられない」と語る。九〇〇〇体以上が処分された。しかし、「人形に罪は無い」と考える人達が、人形をこっそり匿ったこともあって、今でも全国で約三百体が現存している。

 多摩でも戦火を逃れ現存している人形はあるのか。調べてみると、八王子市と檜原村の小学校に保存されていることがわかった。国家間の政治的緊張を文化的に和らげようとしたこの計画を知ることは、現代でも平和を考える糸口になる。そう考えた私は、この歴史的な物語を掘り起して番組を作ろうと思った。

 取材した八王子市立第八小学校では、青い目の人形「メアリー」が保存されている。そして「メアリー」を教材に平和学習が行われている。人形がどのように保存されるに至ったかを物語にし、演劇を行ったそうだ。授業を担当した門田智子先生は、戦争の歴史を教えることから始めた。怖がる児童もいたが、学ばせ続けると「戦争を乗り越えたメアリーを大切にしたい」と子どもたちは理解し始めたと言う。

 活動について、渋沢栄一氏の関係者は知っているのだろうか。私は孫の鮫島純子さん(九三)を訪ねた。「プロジェクトは戦前の一時の行事でしかないと思っていた」と話す鮫島さん。しかし、八王子市立第八小学校の取り組みを知ると涙を流して喜んだ。そして私の提案により、感謝の気持ち込めて第八小学校で講演を行うことが決定した。

 「八八年前にまかれた種が、再び芽を生やしたことを嬉しく思います。次はあなた方が平和を作る番です。どうか、宜しくお願い致します」。鮫島さんの話を真剣に聞く子供達を見て、私は心を打たれた。

 今年、日本は戦後七〇年を迎えた。この放送が「平和」について考えるきっかけになってもらえれば、制作者として幸いである。


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by tamatanweb | 2015-07-01 00:00

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 児童劇に秘められた平和への思い   

法学部法律学科 平成26年度卒業 幸田遥平

 「青い眼をした お人形は アメリカ生まれの セルロイド・・・」

 一九二一年に発表された『青い目の人形』という童謡の歌詞である。『赤い靴』と同様、戦前特有の異国情緒あふれる童謡だ。祖母が料理の支度中に口ずさんでいるのを、私は聞いたことがあった。祖母によると、当時の子どもはみんな歌えたという。
 今回の多摩探検隊は、一九二一年の『青い目の人形』プロジェクトに隠された日米間の悲劇と交流を追ったドキュメンタリーとなっている。私が辿った制作の道のりについて、ご紹介したいと思う。

 同プロジェクトは八八年前の事柄であるため、話を伺える取材対象者を見つけるのに苦労すると予想していた。私たちは闇雲に青い目の人形に関する資料がある、いくつかの資料館へ赴いた。初めに訪れたのは、青い目の人形を題材にしたアニメーションを定時上映している埼玉平和資料館であった。アニメーションを見終え、本の資料を読み漁っていると、多摩地域では八王子市立第八小学校と、東京都檜原村立小学校および東京都あきる野市立戸倉小学校(二〇一三年三月三一日に閉校)に、青い目の人形が保存されていることを発見した。

 そこからさらに、取材対象者を探し出し、ついに、同プロジェクトを始めた米国人宣教師、シドニー・ギューリック氏の孫、および日本側の渋沢栄一氏の孫を探し出すことに成功した。取材対象者が多かったために、私たちは三人で分担して取材対象者と関係を築くように努めた。そこで私は、檜原小学校と第八小学校の二校と密に連絡を取った。

 第八小学校の彦坂和宣校長先生に何度かお会いすると、青い目の人形(メアリー)を使って、積極的に平和学習を行っている教師を紹介して頂いた。私は青い目の人形に関する授業が、現在も行われていることに驚いた。実際にその担当教諭である門田智子先生にお会いすると、私たち学生が青い目の人形に興味を持ったことを歓迎してくれた。

 門田先生は、青い目の人形が贈られた当時の歴史背景から、現在に至るまでの経緯を冊子にまとめられていた。そして、児童たちがその冊子で青い目の人形について理解してから、児童劇の制作に取り掛かったという。実際に一昨年行われたその劇を、DVDで見させていただいた。私は思わず全身に鳥肌が立ってしまった。その劇には、見事に「青い目の人形」の悲劇と平和への思いが描かれていたからだ。八〇年以上も前の事柄で、もう風化しつつあると勝手に思い込んでいたものが、時空を超えて、プロジェクトの精神が今も受け継がれていることに感動した。

 「自分の受け持った児童が素直で前向きで賢いから出来ると思いました。また教員のやることを認めてくれる寛大な校長先生の下であったからこそ、劇を作り上げることが出来ました」と、門田先生は話した。

 ドキュメンタリー制作は地味で体力的にも精神的にも疲れる作業が多く、「一体何のために作っているんだろう」と何度も悩むことがあった。しかし、私たちが制作したドキュメンタリーが誰かの心に届き、私の知らないところまで、平和への想いが広がっていったら、こんな素敵なことはないと思う。


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by tamatanweb | 2015-07-01 00:00