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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 一人では越えられない壁   

総合政策学部国際政策文化学科三年 鈴木里咲

 二月上旬。今年も清瀬子ども放送局の活動が始まった。FLP松野良一ゼミでは二〇〇九年から、清瀬市内の児童センター「ころぽっくる」に訪れる子供たちと番組制作を行っている。私は、二〇一五年の清瀬子ども放送局のプロデューサーとして昨年に引き続き活動に携わることになった。そして、これがプロデューサーとしての初めての企画となる。

 まず、企画探しを始めた。この段階で大きくつまずいた。何枚も企画書を練ったものの、一緒に活動する「ころぽっくる」からいい反応がなかったのである。その時、職員の方に「子ども放送局の意義ってなんだっけ」と突然質問を投げかけられた。子ども放送の意義は、「子どもと一緒に地域の魅力を発見し発信すること」である。活動意義を口にしたときに、ふと我に帰ったような気がした。今までにない子ども放送局にしたいという気持ちが先行し、子ども放送局の根本的な目的を見失っていたのだ。そこで、子どもたちに直接清瀬の良さを聞いたり、清瀬を歩いたりしてみた。そして行きついたのが「野菜」「郷土料理」であった。企画に起こすにあたり、清瀬で農業をされている農家さん八人にお話を聞いた。そこで感じたのは農家であることに誇りをもっているということだった。清瀬の農家の方はおいしい野菜をつくることに手を抜かず、どんどん新しいことに挑戦しようとしていた。そんな農家の方の思いのこもった野菜を食べている清瀬の子どもたちに、その思いを肌で感じてもらいたい。野菜の収穫をして、そこから自分たちの手で調理し郷土料理であるうどんにして食べる。ようやく企画が決まった。

 ようやく演出を考えるのに時間を割けると思っていた矢先、ここでまた大きな壁が待っていた。協力してくださる農家の方が見つからなかったのである。丁度、開催時期が畑の植え替えとかぶり非常に忙しいというのと、郷土料理のうどんに入れることのできる野菜が少ないというのが問題だった。折角あがってきた企画なのに、農家の方がいらっしゃらないと活動が出来ない。焦りばかりが募っていった。撮影日が一か月後と近づいてきた時、ようやく協力してくださる農家の方が決まった。それが岸農園の岸一義さんであった。そして、以前から郷土料理うどんの体験教室を行っていた郷土博物館も快く撮影に応じてくれた。

 演出を考えていく上で、まず昨年の反省を見直すところから始めた。その中で、「子どもの素直な表情、発言が少ない」という点を改善することを一番の目標とした。今までの撮影では、カメラマンが撮影しディレクターが子どもたちに指示したり質問したりすることが多かった。それを今回、カメラマン一人が行うようにした。子どもとの対話を大切にすることで、より自然な姿を映そうと思ったのである。

 そして迎えた当日。朝早くから子どもたちは元気よく集まってくれた。野菜の収穫では、みんな大きな大根に格闘し、小松菜をお母さんに食べさせたいと言う子もいた。うどん作りでは、この活動に参加して良かったと言いに来てくれる子や、5杯目のおかわりをわざわざ報告しに来てくる子もいた。笑顔あふれる子どもの姿をみて、心からやって良かったと思った。今までに感じたことのない、大きな達成感だった。

 今回の活動を通じ、身をもって感じたのは、プロデュースすることの難しさである。始まった当初は、責任に押しつぶされそうになり、早く終わって欲しいと思うこともあった。そして、撮影を行うまでに何度か一人では越えられない壁があった。けれど、沢山にひとに助けていただき、無事撮影を終えることができた。険しい道のりだったが、だからこそ忘れられない活動になった。



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by tamatanweb | 2015-09-01 00:00

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ニニ八事件68周年記念式典   

法学部政治学科三年 山田俊輔

 FLPジャーナリズムプログラム松野良一ゼミでは二〇一一年から台湾ニニ八事件の受難者やその遺族の方々に取材し証言を記録してきた。

 この事件には台湾人だけでなく、日本人も巻き込まれている。私達は今回、台湾ニニ八事件の式典に参加するため台湾の台北市に足を運んだ。

 通常、式典には関係者以外参加することができない。だが、二〇一四年一〇月二二日に取材を行った青山恵(けい)昭(しょう)さんのご厚意から、私たちは今回の式典に参加することができた。

 二〇一五年二月二八日朝、私たちは青山さんが率いる団体に連れられて、ニニ八和平紀念公園へと向かった。公園の警備は非常に厳重で入り口には何人もの警察官が目を光らせていた。

 日本人受難者遺族の方々は背負っていたリュックサックや手提げ鞄からそれぞれの遺影を出した。これにより受難者遺族ということが現地の方々にもわかったようで、彼らの周りには人だかりができていた。そのとき一人の女性が沖縄から訪れた受難者遺族のもとへ歩み寄った。その女性がどのような言葉を投げ掛けたのかはわからない。通訳を通してのやり取りだったが、お互いに涙を流しながら手を握り合い、言葉を交わしていた。お互いに名前も歳も、言葉さえわからなかった。ただ「台湾二二八事件に今もなお苦しめられている」という唯一の共通点が親密な関係を築きあげたのであろう。二人の苦労がどれほどのものだったのか私には想像もつかないが、遺族にとって事件は六八年が経つ今日でさえも終わっていないという現実を知った。

 その後私たちは来賓席へと招かれた。座るや否や式典は始まり、来賓席の最前列には馬英九総統の姿もあった。今回遺族の代表として台北市長である柯文哲(か ぶんてつ)氏がスピーチをした。柯市長の祖父は、知識人ということで国民党に逮捕され、拷問などのひどい扱いを受けた。出獄後三年間は寝たきりとなり、亡くなっている。神妙な面持ちで話していた柯市長は、手にしていたハンカチでスッと涙を拭いた。台湾語を話す柯市長の言葉を私は理解できなかった。しかし何度も嗚咽し、ティッシュで鼻をかむ姿に私は涙を誘われた。私だけでなく、会場が涙に包まれていた。

 スピーチを終え席に戻ろうとする市長に対し、馬総統が握手を求めた。このとき私にとって最も印象深い出来事がおこった。柯市長はこれを断り席に着いたのだった。この一瞬の出来事が私には忘れられない。「私の立ち会ったこの瞬間が後に社会の教科書に載るのではないか」。私にとってそれほど衝撃的な瞬間だった。握手を断った柯市長は後に「手が汗をかいていたから断った」と述べた。実際のところ真相はわからないが、国民党に対する怒りが未だに収まっていないからこそ今回のようなことに繋がったのではないだろうか。私は六八年たった今でもこの事件は全く終わっておらず、その禍根は今でもなお受難者遺族の胸に深く突き刺さっていることを思い知った。

 柯市長のスピーチ後、馬総統が壇上に上がった。「事件の教訓は忘れない。台北市には中央と協力して社会の和解を進めてほしい」。馬総統はスピーチの中でこのように話した。

 スピーチを終えた式典後、再び馬総統は市長に握手を求めたがこれも叶わなかった。この一連の出来事は翌日の地元各紙に取り上げられた。日本でも、この記事について『台湾2・28事件式典で台北市長握手拒否』という題で掲載していた。
これほど深い問題に対して、私たち学生ができることはどのようなものがあるだろうか。「受難者遺族の声を広く伝えること」。私にできることはこれだけだ。歴史的瞬間に立ち合った私だからこそ、伝えられることもあるはずだ。そう信じてこれからの活動に尽力したい。



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by tamatanweb | 2015-09-01 00:00