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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 シバくんと町のたばこ屋   

法学部国際企業関係法学科三年 尾崎梓

 「家から一番近いたばこ屋さんを紹介してほしい」

 そう言われてすぐに答えられる人は今、どれだけいるだろうか。数年前から一層強まった嫌煙ブームの影響もあり、たばこ屋さんは町からずいぶんと姿を消してしまった。健康志向なのは良い風潮だが、シャッターが下りたままのたばこ屋さんを見かけると、どこかさみしい気もする。そんな中、毎日たくさんの人が集まってくるたばこ屋さんが東京都小金井市にあるという。いったい何が人々を店に呼び込んでいるのか?訪ねてみると、店前に集まる人々の輪の中心にいたのは、なんと一匹の柴犬だった。

 犬の名前はシバくん。今年で七歳になるオス犬だ。「シバくん人気に火が付いたきっかけは、二〇〇三年にインターネット上で公開された一本の動画だった」と、店主の鈴木さんは語る。その動画には、お客さんがやって来たとわかると勢いよく店の扉をあけて出迎えるシバくんの姿が写っていた。その姿の珍しさと愛らしさに惹かれて、国外からもお客さんがやってくるという。国内だけでなく海外のファンも持つたばこ屋の看板犬・シバくんに興味を持った私は、お店で丸一日、密着取材をさせてもらうことにした。

 取材に行ったこの日、お店にやって来たお客さんは約二〇人ほどだった。しかしこの数は少ないほうであり、多い日には一日で五〇人ほどのお客さんがやって来たこともあると聞き、とても驚いた。そんなにたくさんの人が訪れるならば、と取材前からずっと気になっていた商売の話題を鈴木さんに聞いてみた。鈴木さんは、「確かに動画をきっかけにお客さんの数は飛躍的に増え、シバくんに会いに来た記念にたばこやお菓子を買って帰る人も多い。だけど犬を商売に利用しようと思ったことはないし、これからもそのつもりはない」

 そしてシバくんに優しく微笑みかけながら、こう付け加えた。

 「ただ、お客さんがシバくんに会いに来て、癒されてくれればいいと思っている。そして元気になって帰っていただければ、それだけで十分」

 お店に人を集めるきっかけはシバ君にあるのかもしれない。しかし、ここまで噂が広がり、多くの人が集まってくるお店になったのは、店主の鈴木さんの人柄の良さも大きいと思った。生活のための商売であっても、お客さんのことを第一に考えるその姿勢が、多くのお客さんを呼ぶのだろう。

 今回取材したたばこ屋さんは、国内外から人が集まる憩いの場となっていた。インターネットをきっかけにして生まれたそのコミュニティに国境はなく、言葉が通じなくとも人々が笑顔になれる、そんな素敵なお店だった。次は私もお客さんとしてシバくんに会いに行ってみようと思う(たばこは吸わないのでお菓子目当てのお客として)。そこではどんな出会いが待っているのだろうか。今から、とても楽しみだ。


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by tamatanweb | 2015-11-01 00:00

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 「青い目の人形」と戦争   

法学部法律学科三年 大関宏紀

 今から八八年前、一九二七年に海を渡って日本にやってきた「青い目の人形」をご存知だろうか。米国で排日移民法が施行された後、日米関係の悪化を懸念した米国人牧師シドニー・ルイス・ギューリック氏が、日本全国の幼稚園、小学校に一万体以上の西洋人形を寄贈したのである。これらの「青い目の人形」は、日本中の子どもたちに熱烈に歓迎された。しかし、人形のほとんどは、太平洋戦争中に、敵国の象徴、憎しみの対象として扱われ、破壊されてしまった。現存する人形は全国わずか三〇〇体ほど、三%にも満たないとされている。戦後七〇年にあたる今年、私は、戦争という危機を乗り越えて現存する「青い目の人形」に込められた思いを追うドキュメンタリーの制作に携わった。作品は、今年八月に「第一三六回 多摩探検隊」として放映された。

 八王子市立第八小学校には「メアリー」、檜原村立檜原小学校には「パティ」と名付けられた「青い目の人形」が残っている。現存するこれらの人形を初めて見たとき、私には九〇年も昔に贈られた人形だとは思えなかった。目立った損傷もなく、二体の人形とも、横に寝かせると目を閉じる機能までも生きていたからだ。良好な状態で残されているこれらの人形もまた、ほかの「青い目の人形」と同様に、戦時中は敵国の人形として破壊される危機にさらされ続けた。

 「青い目の人形」が破壊された様子を覚えている方もいた。東京都日の出町在住の清水浩さん(八〇)は、国民学校三年生の時に「青い目の人形」を強制的に踏みつけさせられた経験を語ってくれた。黒板には、「憎い憎いアメリカ人」と、連合艦隊司令官長官・山本五十六の仇討ちを意味する文章が書かれていたそうだ。「変なことをしてしまったという思いと、踏んだ時のいやな感触が今でも忘れられない」と話す。

 そうした中で、多摩に残る二体は、「人形に罪はない」と考えた当時の小学校の教諭、児童による勇気ある行動によって守られた歴史を持つ。檜原小学校の吉野一巳校長先生は、当時の教頭先生の勇気ある決断と現在まで保存されてきた人形「パティ」について、「檜原小学校の誇り」と語る。また、「メアリー」が残る八王子市立第八小学校では、青い目の人形が守られた経緯を演劇にして、児童たちが演じることで、後世に伝えていく努力が続けられている。

 今回の多摩探検隊の撮影は、米国メリーランド州への海外ロケも敢行した。そして、分かったことが一つあった。「青い目の人形」が日本に贈られてからの九〇年間に、様々な国籍と世代の人々が関わってきたが、彼らの心の根底にあったものは「平和への思い」だった。私は、この思いを伝え、戦争、平和について考えてもらうきっかけになるような作品を制作したい。これが、私の本番組の制作意図だった。

 番組の構成表ができたのは三月、そこから先輩方の仕事を引き継ぐかたちで編集作業を重ねた。番組が完成したのは七月下旬だった。完成した番組は戦後七〇年を迎える八月に、多摩地域を中心にケーブルテレビ一九局で放送していただいた。放送圏内にある日野市で一人暮らしをしている私も、自宅でリアルタイムで組を視聴することができた。自分が編集した番組がテレビに映るのは、なんだか気恥ずかしいものだった。

 終戦から七〇年が経ち、戦争の記憶が薄れゆく今、この番組が、戦争や平和を考えるきっかけになってくれれば、それほど嬉しいことはない。


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by tamatanweb | 2015-11-01 00:00