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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 高浜一色の夏   

総合政策学部国際政策文化学科二年 清水千景

 6月中旬。私は「若狭たかはま子ども放送局」のディレクターとして、活動に携わることとなった。「若狭たかはま子ども放送局」とは、福井県大飯郡高浜町で、地元の子ども達とともに「地元の魅力を再発見」をテーマに、番組を制作するプロジェクトである。
正直に述べると、当初この活動に関わる予定ではなかった。元々、別にディレクターがおり、高浜でネタ探しを行った時、同じ日に2つのお祭りが行われることを発見した。2つのお祭りを別々にリポートしたら面白いのではないか、ということで、各お祭りに1人ずつディレクターを立てることになり、私も参加することになった。こうして、高浜町高浜地区で行われる「漁火想(いさりびそう)」と、高浜町内浦地区で行われる「来てミナーレ内浦」という2つのお祭りを題材に、私の夏休みが高浜一色に染まることになった。
 「若狭たかはま子ども放送局」で難しいことは、活動場所が福井県のため事前取材、ロケハンが出来ないことだ。したがって事前に子ども達との交流や、撮影に使う場所の確認をすることが出来ない。これまでのゼミ活動の中で、事前取材、ロケハンの大切さや、取材対象者と仲良くなることで撮影の内容も大きく変わるということを学んでいた。そのため、これまでとは違う撮影にとても不安が募るばかりであった。実際に高浜町で活動できるのは、3日間しか無い。この3日間の中で私たちは事前取材、ロケハン、撮影、編集、上映を行わなければならない。「子ども達と仲良くなれるだろうか」「自分に与えられた役割をしっかりと行うことが出来るだろうか」。いくら準備しても拭いきれない不安の中で、「とにかく、東京で出来ることは全てやろう」と思った。何度もクルー会議を重ね、あらゆることに対応できるように準備をした。
 迎えた8月下旬。曇天の中、不安な気持ちと共に福井県に向かった。1日目は子ども達との企画会議、ロケハンを行った。子ども達と初めて顔合わせをした時、子ども達はとても元気に会議に参加してくれた。子ども達が自発的に意見を言ってくれる姿を見て、次の日の撮影が楽しみになった。
 2日目。この日はお祭り当日、そして撮影本番の日だった。朝起きて窓の外を見てみると、「台風?」と思ってしまうような強い風と横殴りの雨だった。クルー全員が、雨が止みお祭りが決行されることだけを祈った。祈りが通じたのか、朝食を食べ終わる頃にはなんとか雨は上がった。今にも降り出しそうな天気の中行われた撮影は、先輩方と子ども達におんぶにだっこといった状態だった。子ども達は撮影を重ねるごとに、カンペがなくても、自分で取材対象者に話を振れるようになった。私が指示を間違え、もう一度撮影しなくてはならなくなったときがあった。その時も子ども達は「大丈夫!気にすんなよ!」と、大人びた口調で慰めてくれた。また、朝早くから夜遅くまで続いた撮影も、子ども達は最後まで元気に乗り切ってくれた。この撮影が成功したのも、ひとえに子ども達のおかげだ。この短期間で子どもの成長を間近で実感することが出来た。
撮影終了後、怒濤の編集を終え3日目を迎えた。この日は上映会が行われた。上映会は終始笑い声に包まれ、無事高浜で過ごした3日間の幕を閉じた。
 この活動を通して、高浜町の1番の魅力は人の温かさだと思った。年齢の壁など関係なく、誰とでも仲良くなれる子ども達。私たちがミスをしても笑い飛ばしてくれ、一緒に悩んでくれる方々。高浜を離れる時、子ども達はしきりに「来年も来てくれるよね?」「また会えるよね?」と口にした。その言葉が何よりも嬉しかった。こんな暖かい方々と一緒に活動できて、本当に貴重な時間を過ごすことができたと思う。
 来年も必ず高浜町に行こう。
 私は今回、成長することができたのだろうか。子ども達に引っ張られ、先輩に背中を押してもらって何とか最後まで遂げることができた活動だった。ただ、この「最後までやり遂げることができた」ということが、私の次への自信に繋がったと思う。
 来年の夏休みはどのように過ごすのだろう。来年も「未来の自分」に向かって1つ自信を付けられるような夏にしたい。
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by tamatanweb | 2015-12-01 00:00 | 高浜子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 原発の町の「子ども放送局」-何を可視化させてきたのか   

法学部法律学科二年 西山周

 「若狭たかはま子ども放送局」(2015年8月福井県高浜町で開催)の準備作業が、同年5月から始まった。私はそのディレクターを務めることになった。私にとって、1番早く決まった夏休みの予定であった。その時はまだ、これまでの人生で最も印象的な夏になるとは思ってもみなかった。
高浜町とは、福井県の最西端に位置している自然豊かな町である。主な産業は、漁業や観光産業である。近年過疎化が進んでおり、2009年には4つの学校が廃校になっている。小さな漁村である高浜町が生き残るために選んだものが、原子力発電所の誘致だった。この町は、自然景観と原発、危険性と補助金、観光と風評、というような複数の「矛盾」を抱えながら生きてきた。実際に若狭高浜観光協会によれば、2004年、美浜原発で11人が死傷する事故が発生した時は、約2000件の民宿キャンセルが発生したという。そのような中、どうして10年以上も外部の人間、つまり中央大学の学生たちがプロデュースする「若狭たかはま子ども放送局」が続いてきたのか。その答えは、高浜町を訪れるまで分からなかった。
 撮影当日、いざ撮影しようとすると思うようにいかない。それは、インタビューを受けた観光客が緊張していたこともあるが、何より私が一番緊張していた。その緊張が観光客に伝わったのか、その観光客はなかなか心を開いてくれなかった。その中で、雰囲気を変えたのが子どもの笑顔だった。子どもの笑顔を見て、その観光客もニコッと笑った。インタビューは、そこから順調に進んだ。
撮影が始まる前、私の役割は、番組制作方法を子どもに教えることだと思っていた。しかし今回の撮影で、相手に心を開いてもらうことがインタビューする上で最も大切なことだと、子どもたちから教わった。ただ、この時もまだ、この番組制作が高浜町で長年行われてきた理由は分からないままであった。
その答えを見つけたのは、撮影したVTRを見直していた時だった。子どもが、漁師をしている船長さんに、高浜町への思いを聞いた。すると、船長さんはこう答えた。
「海がきれい。大阪にも出稼ぎに行っていたが、子どものころからずっと見てきたこの海が一番きれい。だから、また高浜に戻って約25年間漁師をやっているんだよ」
一人の初老の男性が、海の美しさとともに故郷への思いを語っている場面であった。これは一見何気ないカットなのかもしれない。しかし、私はこの番組が長く続く理由を、そのカットの中に見出したような気がした。もし私が、ここで子どもたちと同じように質問をしたら、船長さんはあの笑顔で同じ言葉を返してくれただろうか。恐らく聞いたのが同じ町に住む子どもだから、あの映像が撮れた。同じ町の子どもたちだからこそ、町の人々の無意識にあるものを可視化できたのだろうと思った。
 高浜町は、いくつもの「矛盾」を抱えながら歩んできた。町の人々の心の中には、現状に対する不安もあるだろう。しかし、一方で、町への愛着や誇りがあることも確かだ。その愛着や誇りを、「若狭たかはま子ども放送局」は可視化し続けてきた。
これが「若狭たかはま子ども放送局」が10年以上も続いてきた理由であり、私たちが高浜町に残すことができたものではないだろうか。
高浜町の青い海と青い空を思い出しながら、私は強くそう思った。
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by tamatanweb | 2015-12-01 00:00 | 高浜子ども放送局