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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 動物の義肢装具士 ―日本初の挑戦―を制作して   

総合政策学部国際政策文化学科三年 鈴木里咲

 私は、日本で初めて動物専門の義肢装具士として、活躍されている島田旭緒さんに密着したドキュメンタリー番組を制作した。
 3月12日、初めて島田さんへの取材を行った。2007年に動物専門の義肢装具を製作する会社を立ち上げた島田さんは、現在様々なところで注目されている。動物病院から依頼を受けると、自ら採寸し、手作業で義肢装具を製作し、ちゃんと患部とあっているか自ら赴き確認する。島田さんが装具を製作している様子を見学しただけで、番組が出来上がった時の自分が想像できた。それぐらいやりがいのある企画になると思った。(写真1)
そこから、構成を考えていった。動物は、映像的に、人を惹きつける力があるという。事故や病気によって怪我をしたペットが、動物病院に運ばれる。そこで出来る限りの手術をされるが、後遺症が残ってしまう。これ以上なすすべのないペットが、島田さんの義肢装具をつけることで、歩けるようになる。これが、私の最初に考えた構成である。この最初の構成を基に撮影を行っていった。
朝、島田さんと合流し、一日の仕事を追っていく。この撮影を7回おこなった。そして、撮影を通じ6組の飼い主に会った。私は動物を飼っていないが、こんなにも様々な種類の動物がいて、それぞれの大きさも違い、そしていろんな症例があることに驚いた。島田さんはその一つ一つと向き合っていた。(写真2)
 撮影を続ける中で、60代くらいの夫婦に出会った。知的な、寡黙そうな男性が、大切そうに抱える腕の中には小さなチワワがいた。ココちゃんという名前のその犬は、高齢で、いままでも沢山の病気をしてきたのだという。前足はその後遺症で左だけ曲がっていた。「散歩が好きだったからね。前みたいにあるければね」
静かに男性は言った。次の日、島田さんは前足を固定し、歩くサポートをする装具を製作した。初めて装具を着ける日が来た。心配そうに見つめる夫婦の前で、ココちゃんは元気よく歩き始めた。飼い主さんに向かって元気よく歩くココちゃんを、腕を広げて待っていたその男性の目は、とてもうれしそうに微笑んでいた。そして、島田さんに「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言っていた。(写真3)
 その後もいくつかの症例を撮影した。しかし、撮影を続けていくうちに、私は最初の構成に、違和感を覚えるようになっていた。番組のラストが決まらないのだ。歩けなかったペットが歩けるようになって、終わりではない気がしていた。ある日、島田さんは「時代の流れによって、ここまで需要が出てきたのだと思う」と言っていた。時代の流れとはなんだろう。なぜ、いま動物のための義肢装具が必要とされているのか。そこから、日本のペット事情について調べて行った。調べるなかでこのようなデータを見つけた。「子供の数より、ペット(犬・猫)の数のほうがはるかに多い」。私にとっては、それは驚きのデータだった。そして、ペットに向けたサービスが、多様化していることも分かった。ペットのサロン、幼稚園、厄払い…島田さんの言う時代の流れとは、このことだと思った。そして、構成にこういったデータを盛り込むことにした。また島田さんの仕事はただ淡々と描き、視聴者に問いかける構成にすることにした。
 私が所属するゼミの松野良一教授に、初めて番組を見ていただく日がやってきた。一通り番組を見た先生は、こうおっしゃった。「想像していた描き方とは違うけれど、淡々と描くことで、とても上手くまとまっている」。伝えたかったことが、初めて番組を通じ伝わった瞬間だった。
 先日、番組で取り上げさせて頂いたチワワのココちゃんの飼い主さんから、電話をいただいた。「この間はありがとう。実はココちゃんが亡くなったんです。」
丁度、私は就職活動にむけたセミナーに出席しているときだった。すぐには返事が出来なかった。「まだ、亡くなってすぐで、悲しくて、番組見れていないの。ごめんなさいね」
前回会ったときには、装具をつけ、元気に歩けるようになっていたと思うと、とてもつらかった。私はDVDを届ける約束をした。
 この番組で私は多くの事を学んだ。それは、大学生の映像制作にすぎないのかもしれない。けれど、その番組には必死に生きる動物の姿、ペットに愛情を注ぐ飼い主の姿、そして新たな動物医療の開拓をし続ける島田さんの姿がある。2年間続けてきたゼミでの番組制作。ようやく、観てもらいたい、知ってもらいたい、考えてもらいたと思える番組が制作できた気がする。
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by tamatanweb | 2016-02-01 00:00 | 制作日誌

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 異国の地で思いを日本に伝える仲介役として   

総合政策学部国際政策文化学科二年 和田ユリ花

 昨年は、戦後七十年という節目の年であった。私は、これを戦争について知るきっかけにと、当時中学生だった女学生が製造に従事していた、「風船爆弾」という兵器について明らかにすることにした。私と同じ女性として、過酷な労働環境の中で兵器を製造させられていた彼女たちや、その兵器について興味を持ったからである。
 風船爆弾とは、太平洋戦争末期、日本により秘密裡(ひみつり)に研究・開発された対米国の戦争兵器である。風船爆弾についての証拠資料は、戦後の隠ぺい工作によってほとんどが焼却処分され、現在ではほとんど残っていない。そこで風船爆弾について知るため、製造体験者である元女学生たちへの取材を行った。他言無用の兵器製造に従事していた彼女たちの心の葛藤、また「戦争の記憶が風化していく前に、戦争の愚かさを若い世代に伝えていかなければならない」という強い思いを、証言として記録することができた。さらに取材を進めるうちに、スミソニアン国立航空宇宙博物館代表学芸員であるトム・クローチさんという、世界でも数少ない風船爆弾の専門家の存在を知った。米国から見た風船爆弾について話を伺うため、昨年の夏、私はワシントンD.C.へ向かった。
 私は、中学から高校にかけての三年間を米国で過ごした経験があるため、ワシントンD.C.でインタビュアーを務めた。しかし、英語でのインタビューの経験などない上に、中学時代からの英語に対する苦手意識が未だに払拭できていなかった。ワシントン・ダレス空港に向かう飛行機の中で、日本語で作成した質問事項を英語に訳しながら、私は漠然とした不安に駆られていた。ワシントンD.C.到着からも、収録当日まで、インタビューのことで頭がいっぱいだった。
 収録当日は、文字通り、雲一つない快晴だった。私は、スティーブン・F.・ユードバー・ハジーセンターへと向かった。
到着してすぐ、広報員の方が館内を案内してくださり、トムさんとの待ち合わせ場所まで連れて行ってくださった。そこは、風船爆弾の現物が展示されているショーケースの前だった。
 トムさんと無事に対面した後、さっそく撮影が始まった。しかし、初めての海外撮影だったため、私も同行してくださった先輩もあわててしまい、なかなか上手に撮影を進められなかった。トムさんがアメリカ人として、風船爆弾をどのように考えているかなどという、踏み込んだ質問をしていけなかった。私の声が小さく、震えてしまったため、トムさんに何度も聞き返されてしまい、それが余計に自分を追い込むことになってしまった。
 しかし、トムさんの方から、私が今まで調べてきたときには全く出てこなかった、新しい事実を語ってくださった。初めて聞く話はとても興味深く、もっと知りたいと強く思った。そのとき私は、こんな貴重な機会に聞けることを全部聞いて帰らなければ、ここに来た意味がないと気づいた。それから私は、準備していた質問以外にも気になったことがあれば、全て伺った。トムさんのアメリカ人としての風船爆弾への意見なども聞くことができた。その時には声もはっきりと出るようになったのか、トムさんから聞き返されることも減った気がした。そして、トムさんは最後にこうおっしゃった。
 「私たちが第二次世界大戦終戦の記憶について考えることが、これからの世界平和を促進していくはずだよ」
 今回のような国外での取材では、国内での取材よりも限られた時間で、どれだけ貴重な話を伺えるかが重要だった。トムさんへの取材は、新たな証言の記録となった以外にも、取材する際の心構えを私が痛感するきっかけにもなった。言葉の壁がある中でも、同じ事柄への興味を共有することにより、心の距離は縮まり、たくさんの貴重な話を伺えることを知ることができた。この先、ほかにも取材を経験することになる。そのたびに、今回の経験のことを思い出すだろう。
 異国の地での思いを日本に持ち帰るという重要な役割を担ったことにより、私自身も一回り成長できた。この転機を、私は忘れることはない。
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by tamatanweb | 2016-02-01 00:00 | 制作日誌