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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ありがとう   

法学部 肱岡 彩

ありがとう。一日に何度この言葉を口にするだろう。

辞書を引くと「感謝の意をあらわす挨拶語」とだけ記されている。日常にこの言葉は溢れかえっている。生活にとけ込みすぎて、何の変哲もない、大して気持ちをこめることのない表現になっている。

まだ肌寒い春先、私たちは都内の公園に足を運んだ。「ありがとう」をテーマに短いVTRを制作するためだ。親子、夫婦、子どもから年配の方まで、公園内には沢山の人がいて、それぞれの時間を過ごしている。どこにでもある日常が穏やかに流れていた。

そんな人たちにマイクを向け、それぞれの「ありがとう」の気持ちをカメラに向かって語って頂いた。三,四人にインタビューを終え、そろそろ切り上げても良いかなと思っていた矢先、一組の夫婦が目にとまった。インタビューをお願いすると応じて頂けることになった。

カメラの向こうにいるご夫婦。ご主人の口から語られたのは、こんな言葉だった。「こんな体でね、今まで毎日毎日お世話になってるんだけどね。ありがとうっていう言葉を言ったことがないの。いいチャンスでね、今までどうもありがとうね」。奥さんに向けたその言葉には、ほんわりとした温かさと、今まで伝えることの出来なかった感謝の気持ちが詰まっていた。車椅子生活を送っており、奥さんには支えてもらうことも多いのだろう。いつも心の中では「ありがとう」とおっしゃっているのだろうが、言葉にすることは今までなかった。そんなご主人からの言葉を聞いて「私も初めて聞いたけれど、嬉しいです」と奥さんは笑顔をこぼした。

普段思っているけれど言えない気持ち。カメラを向けた先からは、そんな気持ちが送られてくる。撮影を始めた当初は、ありきたりな「ありがとう」をテーマにしても、ありきたりな答えしか返っては来ないと正直考えていた。けれどもそんなことはなかった。亡くなった母親に、長生きできる丈夫な体に生んでもらったことを感謝する八十過ぎの男性、母親にありがとうと言う三人の姉妹。どんな人にも、普段口にはしない「ありがとう」が存在した。そして、そんな普段語られることの無い気持ちを語る場、インタビューに応じてくださったご主人の言葉を借りれば「いいチャンス」を作ることが出来たことに、自己満足かも知れないが嬉しさを感じた。そして何よりも、車椅子に乗るご主人とそれを押す奥さんの後ろ姿を目で追いながら「ありがとう」に込めることの出来る気持ちの量、「ありがとう」の言葉の重みを感じずにはいられなかった。

# by tamatanweb | 2009-03-01 00:00 | 制作日誌

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 語ってもらう理由   

総合政策学部 4年 中島 聡



「自分の子供や孫にもこういった話はしないんです...」

取材させていただいた方々は、最初に揃って同じように口を開く。そして、じっと黙り込んでしまう。毎年、8月放送の「多摩探検隊」では、多摩地域にあった戦争をテーマに取り上げている。当然、取材対象者の多くは、戦争体験者の方々である。戦争の記憶とは戦争体験者にとって辛い過去であり、63年経って思い出したいことではない。ましてや、カメラを通して語ることに抵抗を持つのは当然のことなのだ。

では、それでも語ってもらう理由と何なのだろうか。戦争の記録を後世に伝えたい、戦争と平和について改めて考えたい、そう思って取材を始めた。しかし、そういった理由は制作者側のきれいごとを並べたに過ぎない。取材対象者にとっては無関係な話である。戦争とは、私のような戦争を体験していない者が想像する以上に、凄まじいものなのだと思う。私たちに出会わなければ思い出さずに済んだ記憶を、なぜ一人の大学生が蒸し返すようなことをしなければいけないのか。私はVTR制作中も、いや、制作後もこの答えを見つけられないでいた。

だからこそ、完成したビデオを取材先に届けたとき、全員に同じ質問を投げかけた。「どうして語ってくれたのですか」と...。

小学生のとき、アメリカ軍の空襲によって友人を亡くしていた鈴木喬(70)さんはこう応えてくれた。

「私には3歳の孫がいます。あの子たちに戦争なんて体験して欲しくない。あの子たちの日常を守るためにも、風化させちゃいけないと思ったよ」

同じく、アメリカ軍の空襲で幼馴染を亡くした間宮博昭(84)さんは、

「喋るのも苦手だし断ろうと思っていた。改めて話したいことでもないしね。でも、熱心な大学生の思いを裏切っちゃいけないと思ったよ」

空襲の様子を日記に書き残していた山崎イト(82)さんは、

「私はもう先が長くないですよ。そう考えると、最後にできることは何かって思ったらお話することぐらいしかないなって思ったんですよ」

彼らがVTR中に何を語り、その思いが十分に伝えられていたのか、それは番組を実際にご覧になって判断していただきたい。もしかしたら、私たちのやっていることは、人の不幸を掘り起こし、何の助けにもなっていないのかもしれない。どうして辛い記憶を掘り起こし、語ってもらうのかの答えも見つからないままだ。

しかし、それでも、今、私たち「多摩探検隊」のできることは、彼らに耳を傾け続けることであり、語ってもらうことなのだと思う。

# by tamatanweb | 2009-02-01 00:00 | 制作日誌

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 御岳山に恋して   

総合政策学部 政策科学科 3年 伊藤 恵梨



東京の片隅に御岳山(みたけさん)という山がある。都心から向かえば往復六時間もかかる御岳山は、年間平均気温が青森と変わらないため「東京の避暑地」として親しまれている。私は、二〇〇七年十月にこの山と出会い、それ以来、釘付けになった。それは多分、今までで一番大変な恋だった。

御岳山では現在、三九世帯、約一五〇人が大自然と伝統文化とともに生活を営んでいる。そして、その生活は便利な現代生活をしている私たちには、少々理解しがたい。夜六時三〇分から朝七時三〇分までの間は、山への交通手段であるケーブルカーも稼動しておらず「陸の孤島」になってしまう。ましてや、山の上には二四時間営業しているコンビニエンスストアなども見当たらない。

「東京の片隅でこんな暮らしが...」と驚いて、青梅市役所に話を聞きに行くところから始まり、今では住民の方とジョークを交わすほどの仲になった。友人が乗る電車とは反対方向の電車に乗り、ひとりで黙々と高層ビルではなく木々が生い茂る山間部へ向かう生活にもずいぶん慣れた。

そして、取材中にある住民の方から、

「ここで暮らすのは不便だけど、それが楽しいんだ」

という言葉を聞いたとき、私はこの言葉を世界中の人に届けたいと思った。

それから、私の猛烈アタックは始まった。この山の暮らしを伝えたい、という一心でドキュメンタリーを作り始めてしまったのだ。時間さえあれば山の暮らしに入り込み、二〇歳最初のクリスマスも山で行事があると聞きつければ、ゼミ生まで巻き込んで山に泊り込みで撮影...ということを繰り返すうちに、気がつけば山の一日を追ったドキュメンタリーが出来上がっていた。その名は『御岳山に生きる』とした。

そして完成後、第五一回「多摩探検隊」として、多摩地域にある五局のケーブルテレビで放送された。そのことをお世話になった御岳山の方々に報告しに行くと、

「今どきこんな山にめずらしいわ。あんたも好きだねー」。

山に行くと、いつも温かく迎えてくれる御師(信仰を広める神職で、御岳山に暮らす3人に1人が御師)のおじさんに、いつものようにからかわれた。しかしこの言葉は、最高の褒め言葉だと思った。

「でも、あれだけ何度も来て撮ったのに、わずか10分にまとめるとは、きっと大変なことだっただろうね」

と、ポツリと言われたねぎらいの言葉に、私は涙をこらえるのがやっとだった。

自宅がある高幡不動から、往復3030円かかる御岳山に通うこと10回。そのうち2回は御岳山の宿坊に泊りがけで取材をした。交通費は高くついたが、それ以上の価値あるものを、私はこの御岳山で手に入れたと思う。

# by tamatanweb | 2008-12-01 00:00 | 制作日誌

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 隠された魅力   

総合政策学部 国際政策文化学科 3年 佐藤 希

『子ども放送局』の魅力は、番組の中で大人に投げかける意表をついた質問や、子どもたちの自然な表情や行動の面白さだ。しかし番組からではわからない、一緒に活動する大学生にしか味わえない魅力がある。レポートをするうちに子どもたちがどんどん成長していくことが感じられることや、それを見て大学生の自分も変わる事ができることなど挙げていけば、きりが無い。

昭島市立つつじが丘南小学校の六年生の生徒とは、昨年十一月に産業まつりをレポートした番組を制作していた。二月に実施された今回の撮影は二回目で、昭島の町にある面白いものをレポートするというものだった。『多摩探検隊』の撮影とは違い、初めて撮影をする子どもたちを連れて、初めて訪れる祭を取材するという難しさがあり、コメントが思いつかない子どもと一緒に言葉を考えるなど、大学生が指導する場面が多々あった。今回の撮影も事前に段取りを入念に考え、子どもたちを引っ張っていこうと意気込んでいた。

三ヶ月ぶり再会した子どもたちは、三月に小学校を卒業するとあって、服装や顔つきが十一月の時よりも少し大人っぽくなっていた。しかしすぐ騒ぎ出したり遊びたがったりするところは、やはりまだ小学生っぽさを残していた。取材先の琴職人さんに質問したいことを事前に考える作業では、子どもたちが率先してアイディアを出し、大学生から紙とペンを奪って三〇個以上も書き出してしまった。

撮影に入ると、産業まつりの時とはまるで異なり、レポートやコメントが格段に上手くなっている事に驚いた。普段大学生がレポーターを務めるときでも、事前にディレクターと話し合い、撮り直しを何回かするものだが、今回の東京琴のレポートはほとんどが一回目のレポートである。産業まつりの時にはなかなかコメントが思いつかず、カメラの前で戸惑っていたのが、三ヶ月後の撮影では感じたことを自分の言葉で表現できるようになっていたのだ。インタビューをする時も、前回は話を聞いている最中に集中が途切れてしまったりしていたが、まっすぐ職人さんの顔をみて話を聞き、すぐにコメントを言うことができた。始めこそ職人さんを前に緊張していたが、琴作りについてのインタビューを続けるうちに自信を持った表情に変わり、アドリブで質問をしてしまうくらい積極的に取材をし始めたのだ。子どもを指導しながら撮影をするつもりが、実際には小学生がどんどん質問をして撮影を進めていた。この三ヶ月の間に、そしてこの撮影の間に、子どもたちは止まることなく成長していく。撮影が終わる頃には、子どもとして接するのではなく、ともに取材をする撮影クルーとして小学生と接する自分がいた。

子どもたちは大人とは比較にならないスピードで成長し、周りのものを吸収していく。彼らを見た後に自分のことを振り返ると、もっと自分を育てなければと反省してしまう。子どもの成長を目のあたりにすると、自分のことがよく見えてくる。自分を省みる機会があるのも『子ども放送局』の魅力の一つなのだ。

# by tamatanweb | 2008-05-01 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 子ども放送局が残したもの   

法学部 法律学科 2年 冨田 佑

三月末、桜が満開になり春の訪れを感じるころ、昭島市立つつじが丘南小学校の卒業式に行った。「子ども放送局」の制作に携わった小学六年生の卒業を祝うためだ。「おめでとう」と言うと、「ありがとう」と笑顔で答える子どもたちの顔を見て、ふと、小学校生活六年間の思い出に、どれほど子ども放送局が残っているだろうか、大袈裟だが、自分たち大学生が、どれだけ彼らに思い出として子ども放送局を残してあげられたか、と考えた。

二月十六日・十七日の二日間、「第二回 昭島子ども放送局」が開催された。小学生が、地域の魅力を取材、企画、撮影、編集して一本のテレビ番組を制作する。大学生は、TA(Teaching Assistant)としてサポート役を務める。私が担当した班で取り上げたのは、「アキシマクジラ」である。昭和三六年、昭島市多摩川流域でクジラの化石が見つかった。番組では、子どもたちが発見者の息子さんへのインタビュー、化石の発掘現場、昭島市にあるクジラの看板などのレポート、そしてクジラの肉が売られている三多摩市場のレポートを通して、クジラに密着した。

子どもに取材した感想を聞くと、「何回も取り直すのが大変でした」と開口一番にこの言葉が出てきた。取材では、見ず知らずの大人に対して、話を聞いて、コメントをする。レポートでは、上手くいかず何度も撮り直しをすることもある。また、撮影では子どもたちにとっては大きなカメラを使って、被写体をうまくフレームで捉えなければいけない。撮影後は、本格的な編集ソフトを使用して構成を考えながら編集をする。おそらく人生の中で初めての経験であろうし、これからもそんな経験をすることはないだろう。普段何気なく「視聴者」として見ているテレビ番組を、「発信者」として制作する今回の体験は、子どもたちにとって大変なものであった。

しかし、苦労したぶん、子どもたちが得たものは大きかったと思う。それは、一回目の子ども放送局の時に比べて、臆することなく取材者の人にインタビューをしたり、撮り直しをしても、あきらめずに何度も撮影に取り組む真剣な子供たちの姿を見れば明らかだった。「子ども放送局のおかげで人前に出るのが少し好きになった」と、卒業文集に残してくれた子もいた。

子ども放送局を通じての彼らの思い出は、六年間の小学校生活の中でかけがえにない貴重なものになっていると思う。むしろ、TAとして参加した私も、彼らから大学生活の大切な思い出となるフィードバックを得たような気がする。これから、子どもたちが番組制作に携わることは生涯を通してないかもしれない。でも、彼らの中で今回得た経験が生き続けてほしい。

そう心から願って、大きめでブカブカのスーツを着て、一回り大きく見える、いや、内面的にも成長を遂げた彼らの姿に別れを告げて、小学校を後にした。

# by tamatanweb | 2008-04-04 00:00 | 昭島子ども放送局