人気ブログランキング | 話題のタグを見る

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 番組制作の先にあるもの ―八王子市のシイタケ農家を追って―   

総合政策学部政策科学科4年 香月理子



今回私は、第九五回多摩探検隊のディレクターを務めることになった。卒業制作でもあるので、番組プロデューサーと慎重に話し合った結果、「八王子のシイタケ」を題材にすることになった。

私たちは早速、原木栽培で有名な斉藤椎茸園を訪ねた。すると、奥さんがシイタケのホイル焼きをご馳走してくれた。しかし、実は私はシイタケが苦手だった。シイタケのあの独特の香りがダメなのだ。私は思い切ってシイタケを口に入れた。「あっ、おいしい!」と思わず叫んでいた。嫌だと思っていた香りが心地よく、じんわりうまみが口の中に広がっていく。シイタケをこんなにおいしいと感じたのは初めてで、本当に衝撃的だった。その瞬間、斉藤さんの作る原木シイタケを番組で取り上げなければ、という使命感が湧き上がった。

こうして私は、学生生活最後の番組制作に取り掛かった。しかし、いきなり大きな壁にぶちあたった。それは、番組の起承転結の"転"をどう描くかということだ。"転"には、斉藤さんのシイタケ栽培の中での苦労を取り上げるつもりだった。ところが、斉藤椎茸園の苦労は、まさに今だったのだ。

原木栽培では、原木の質によってシイタケの質も左右される。そのため、よりおいしいシイタケを作るためには、良質な原木が必要なのだ。しかし、二〇一一年の東日本大震災の津波の影響で、良質な原木が被害を受け、入手しづらくなってしまったのだ。いつもは笑顔が印象的な富次さんだが、そのことを話す時の表情は曇っていた。今までの斉藤椎茸園の歴史の中で、今が一番の苦労時なのだということが、表情からも伝わってきた。どうしようもない壁に直面しながらも、それを乗り越えようとする斉藤椎茸園の今の姿を伝えたい。私はそう思ったのだ。

だけれども、地震による原発事故の影響で、日本の農作物全体が風評被害に悩まされているこの時期。これはかなりデリケートな話題だ。番組の伝え方によっては、「八王子のシイタケ」の風評被害に繋がりかねない。この問題は、私と番組プロデューサーの間で議論した。この苦労を取り上げるのか、否か、また取り上げるとしたら、どう映像で表現するのか...―。納品三日前で、精神的にも時間的にも追い詰められながら、朝まで議論は終わらなかった。

納得いくまで話し合った結果、私たちはこのことを取り上げず、別の苦労話に差し替えることにした。どう表現したとしても、視聴者の誤解や不安を生み出してしまうのは免れないと判断したからだ。

しかし、番組が完成した後も、私にはもやもやとした感情が残った。私の力不足で、本当に伝えたかったことが伝わらない番組になってしまったのではないか。私のしたことに意味があったのか。そんな不安が私の心をよぎった。そんなことを考えているうちに、放送月の三月を迎えた。そして、斉藤さんから、番組を見たとの連絡が入ったのだ。

「すごくわかりやすくまとまっていました。嬉しくてたくさんの人に電話してしまいましたよ」という喜びの電話だった。その言葉を聞いた時、気持ちがすっきりするのを感じた。今回番組を制作し、悩み苦しみ、投げ出したいと思ったこともあった。でも、最後まで制作したことで、取材対象者を励まし勇気づけることに繋がった。ちゃんと意味があったのだと、心から思えた。

これから私は大学を卒業し、社会人としての一歩を踏み出す。その中で、自分の思い通りに行かないことや、理不尽なこと、どうしようもない壁にぶつかるだろう。しかし、私には最後までやりきった経験、悩み抜いた経験がある。これは何事にも代えがたい貴重な経験であり、私の自信の源だ。これさえあれば、どんな壁でも乗り越えていける気がする。ゼミ活動の最後に、このゼミや番組制作の意味にも気づくことができた。この松野ゼミで活動してきた四年間。たくさんの人に出会い、多くの番組を制作してきた。その一つ一つの経験と出会いを、この先も忘れず、大切にしていこうと、心に誓った。

by tamatanweb | 2012-05-01 13:00 | 制作日誌

<< 「絆」を追い続けた七ヶ月間 ―... 卒業制作「八王子シイタケ」を通... >>