人気ブログランキング | 話題のタグを見る

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 「思い」を伝えるということ   

文学部人文社会学科二年 小圷美穂



二〇一二年八月。太陽の日差しが照りつける中、私は長袖のパーカーにジーンズ、そしてスニーカーという装いで電車に揺られていた。電車の中には半袖半ズボンにサンダルといった涼しげな格好をしている人が多かった。そのため、私の服装は周りの人から見たら少し奇妙だったかもしれない。窓から見える景色は、段々と高いビルが消え、美しい緑へと変わっていった。私が降り立ったのは、あきる野市にあるJR武蔵五日市駅。ミーン、ミーンという蝉の鳴き声を聞きながら、私は電車を降りて深呼吸をした。これからの私の役目を思うと、胸の鼓動が速まるのを抑えられなかった。

私は、第一〇五回「多摩探検隊」のリポーターを務めることになった。長袖のパーカーにジーンズ、そしてスニーカーという装いは、リポーターお決まりの服装なのである。番組の内容は、「あきる野市で発見されたトウキョウサンショウウオに迫る」というものだ。私にとってリポーターは初めての経験だった。

リポーターを務めることが決まった時から、私には一つの不安があった。それは「声」である。私は自分の声が嫌いだ。高くて弱々しい声。こんな声でちゃんとリポートできるのだろうか...。

そんな不安を抱えながら、撮影が始まった。やはりリポートはとても難しかった。声の大きさやタイミング、そして表情。リポーターとして気を配らなければいけない点がいくつもある。頭では分かっていても、カメラを前にすると緊張してなかなか思うようにリポートできないことが何度もあった。それでも、「取材対象者の方が貴重なお話をして下さっているのに、私のミスで台無しにする訳にはいかない」と、笑顔を保ち、私に出来ることをがむしゃらにやった。

そうして何とか撮影を終えたものの、私は再度、壁にぶつかった。それはナレーションの録音である。ナレーションは顔の表情が見えない分、声の表情がとても重要だ。私は撮影の時と同じ様に、明るく元気に話すことを心掛けた。しかし実際に録音した声を聞いてみると、その声は何とも弱々しかった。何度も録音を行ったがナレーションはまるっきり上達せず、私は焦りを感じていた。

そんな時、私を救ってくれたのは他の番組でキャスターを務めたことのあるゼミの同期生と、「トウキョウサンショウウオ」の番組ディレクターだった。同期生は、ナレーションのコツを何時間も根気よく教えてくれた。彼のおかげで、感情を込めて話し発声の仕方を変えるだけで、声の表情が一気に変わるということを私は実感した。そしてディレクターは、その傍でずっと励ましの言葉をかけ続けてくれた。やっと納得のいくナレーションが録音できた時、私は達成感に満ち溢れていた。

ナレーションの録音が無事に終わった日の夜、ディレクターから一本の電話がかかってきた。番組がとうとう完成したという報告だった。そして彼は私にこう言ってくれた、「小圷にリポーターをやってもらって良かった」と。その時、私は胸にかかっていた靄がスッと晴れていくのを感じた。この言葉を聞くまで、私はたくさんの迷惑をかけてしまったことから、ディレクターに申し訳ない気持ちを感じていたのだ。番組の完成を嬉しそうに話すディレクターの声を聞いた時、リポーターを務めることができて良かったと心から思った。
 
この経験から、私は学んだことがある。それは、番組を通して私たちが人に届けなければいけないのは「声」ではなく、私を含めた番組を取り巻く人々の「思い」だということだ。一つの番組には多くの人の思いが込められている。ディレクターが番組に込めた思い。取材対象者の思い。そして私自身の番組に対する思い。リポーターはそれらの思いを人々に伝える役目がある。思いが強ければ、それが声として表れて人に伝わるのだと思う。私は今も、自分の声があまり好きではない。しかしこれからは、小さい声でモゴモゴと話すのではなく、声の表情を豊かにして自分の思いを人に伝えていきたい。このことを学べた大学二年生の夏を、私は毎年蝉の声を聞くたびに、きっと思い出すことだろう。

by tamatanweb | 2013-02-01 00:00 | 制作日誌

<< 水と共に生きる街 ~「当たり前... 米軍輸送機墜落事故の記憶を追っ... >>