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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ある獣医とのかけがえのない出会い   

法学部政治学科3年 岡田紗由香



みなさんは「ノネコ引っ越し作戦」をご存知だろうか。「ノネコ引っ越し作戦」とは、小笠原諸島のノネコを本土に搬送し、飼い猫にするという活動である。

小笠原は今まで一度も大陸と繋がったことがないため、珍しい生物が数多く生息している。小笠原の独特な生態系は世界的に認められ、二◯一一年に世界自然遺産に登録された。しかし、小笠原では希少種の生物が絶滅の危機に追いやられていた。その原因の一つが、外来種であるノネコの存在である。ノネコは、希少種の生物を捕食したりその繁殖地を襲ったりして、希少種を絶滅寸前まで追い込んでいたのだ。小笠原では希少種を保護するためにノネコの安楽死が検討されていたが、新ゆりがおか動物病院の院長である小松泰史先生(五六)が希少種の命もノネコの命も両方守る「ノネコ引っ越し作戦」を提案し、小笠原の方々と協力しながら活動に取り組んでいる。私は、この引っ越し作戦を追ったドキュメンタリー番組「ノネコの引っ越し作戦~海を越えて命を守る~」を制作し、第一一三回多摩探検隊(二〇一三年九月)として放送した。

私はこの番組制作にカメラマンとして参加していたが、一通り撮影を終えた後、急遽ディレクターとして編集作業を務めることになった。取り上げるテーマが難しいため、ディレクターという重役を私が務められるか不安だったが、取材段階からプロジェクトに携わっていたことと、過去にも多摩探検隊を制作した経験があったので、なんとかなるだろうと思っていた。しかし、いざ編集に入ってみると一筋縄ではいかなかった。膨大な量のテープから使えそうな映像の選別に始まり、度重なる番組構成の立て直しやナレーション原稿の練り直し、資料・データ集め…。時間が早々に過ぎていく一方で、やることばかりが溜まっていった。私は、思っていたより大変な編集に嫌気がさし、モチベーションが下がっていった。次第に、「ディレクターなんか引き受けなければ良かった」とまで思うようになっていた。

そんな時、小松先生と直接お会いする機会があった。小松先生は「用事のついでに」と言って、わざわざ資料を大学まで届けてくださったのだ。それだけでもありがたい気持ちでいっぱいだったのに、その次の日に「昨日の資料は役に立ちそうですか。夜遅くまで大変ですね。また何か分からないことがありましたら、ご連絡ください」とメールが送られてきていた。小松先生のその言葉が、私の心にじんわり染み渡った。「なんてことを考えていたんだろう」。私は、ディレクターを引き受けたことを後悔していた自分を恥ずかしく思った。「小松先生を始め、多くの方の協力があるからこそ、この番組は成り立っている。何としても最後までやり遂げなくてはいけない」。そんな思いが、自然と湧いてきた。

約三ヶ月の編集期間を経て、終に一〇分のドキュメンタリーを完成させ、無事に放送することができた。私は真っ先に、小松先生に番組完成の報告と番組制作にご協力いただいたお礼の電話を掛けた。すると、「長い間お疲れ様でした。私も家で放送を見てみますね。」と嬉しそうに話してくれた。

その数日後、私の携帯電話に小松先生から電話が掛かってきた。それは番組を見たという報告の電話だった。「番組見ましたよ。よくまとまっていて、とてもいい出来でした。ありがとうございました」。小松先生がわざわざ連絡をくださったことがとても嬉しかった。そして、ふとあの日のやり取りを思い出した。小松先生のあのメールがなければ、きっと番組を完成させることはできなかっただろう。私は、次第に目頭がじんわり熱くなるのを感じた。

私は、この番組のディレクターを引き受けて本当に良かった。途中で編集を投げ出したくなることも何度もあった。しかし、小松先生との出会いは大学時代のかけがえのない思い出となった。きっとこの先、この出会いを忘れることはないだろう。

*「ノネコの引っ越し作戦~海を超えて命を守る~」は二〇一三年「地方の時代」映像祭で奨励賞を受賞した。

by tamatanweb | 2014-02-01 00:00 | 制作日誌

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