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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 一人の人間として向き合うということ   

総合政策学部国際政策文化学科二年 福田紗友里



 日本の古典音楽、雅楽。雅楽器の一つに「笙」という楽器がある。笙は、伝説の鳥「鳳凰」を模した雅楽器だ。発祥は中国で、その歴史は三千年にも及ぶ。日本には奈良時代に伝来し、以来その音色で日本人の心を魅了してきた。あるラジオ番組のHPで、私は西東京市に笙を作る職人がいることを知った。鈴木治夫さん(六七)。二十四歳から四十年間、笙を作り続けてきた人だ。笙職人は鈴木さんを含め、全国で数名しかいない。なぜ「笙」という雅楽器を、四十年もの間作り続けているのか。私は、鈴木さんが笙の何にそこまで惹きつけられているのか、ぜひ話を直接お伺いしたいと思った。そして、さっそく鈴木さんに連絡をとり、仕事場を訪ねた。

 鈴木さんの仕事場は八畳ほどのプレハブ小屋だった。彼は職人気質の寡黙な人だった。取材に慣れていない私は、なかなか心の内を引き出せなかった。だが、「なぜ笙を作り続けるのでしょうか?」という質問に対して、鈴木さんは力強い口調と眼差しでこう答えてくれた。

 「笙には三千年の歴史と日本人の思いが詰まっている。その思いを次の世代に残すために、この楽器を作り続けている」

 鈴木さんが笙を作り続けるのは、「笙を残したい」「雅楽や笙の音色を聞きたい」という、三千年もの間連綿と続いてきた日本人の「思い」を残すため。この「思い」こそが伝統であり、その「思い」を次の世代に受け継ぐことが、伝統を継承することなのだという。私は鈴木さんの言葉に強く胸を打たれた。

 大衆消費社会といわれる現在、伝統を身近に感じる機会はあまりない。鈴木さんの思いと技を映すことで、日本の大切な伝統文化の尊さを感じてもらえるような番組をつくりたいと考えるようになった。

だが、撮影交渉は一筋縄ではいかなかった。笙の製作工程を描き、鈴木さんのインタビューを通して、日本の伝統文化の尊さを伝える番組を作りたいことを伝えた。しかし、鈴木さんは「伝統が消えつつあることに警鐘を鳴らしたい気持ちは私にもある。だが、そのためには、直接、雅楽に関する情報番組をつくればよいではないか。なぜ私を取材したいのかわからない」とにべもなく断られてしまった。それでも粘る私に対し、鈴木さんは「わからない!」と大声で怒鳴った。

だが最後に、絶望している私に、鈴木さんはこう付け加えた。

「私は弟子にしか、こういう風に怒ったりしない」

私は激励されているように感じた。鈴木さんは一、二回話しただけの大学生に、弟子と同じように接してくれたのだ。

私はまず、鈴木さんと信頼関係を築くことから始めようと思った。鈴木さんは笙を製作する傍ら、笙と龍笛(雅楽器の一つ)教室の講師もしている。私は週に一、二回お稽古を見学しに行くようになった。初めの頃、教室に行っても鈴木さんは挨拶もしてくれなかった。ただ座っていることしかできなくても、ひたすら通い続けた。そうして一ヶ月ほど経ったある日「何もせずに見ているだけではもったいないから」と教室の生徒さんが、龍笛を貸してくれたのだ。この龍笛が、私と鈴木さんとの関係を大きく変えた。私は「メリーさんの羊」を必死に練習して、鈴木先生に披露したのだ。すると、その日の帰りの電車で、鈴木さんは今まで取材を拒否していた理由を私に語ってくれた。

「僕はマスコミとか、報道機関が嫌いなんだ。物事の本質を顧みず、うわべだけを報道しようという姿勢が嫌いだ。君もその中の一人だと思っていた」

鈴木さんは、今まで抱いていたメディアに対する不信を打ち明けてくれた。そして、私の目をまっすぐにみつめて、力強く、だが、温かい口調で、こう言ってくれた。

「僕を撮影してもいいよ」

私は、鈴木さんに、一人の人間として認められたように感じた。その言葉を頂いた二週間後に、撮影が始まった。

 そして、編集作業が終わり、番組が完成した。その番組のDVDを渡しに、鈴木先生の仕事場を再び訪れた。初めて鈴木さんを訪ねたときから、十か月あまりが経っていた。だが、仕事場の漆の匂いも、床に落ちている竹の削りかすも、以前と何も変わっていない。私はDVDを渡して、鈴木さんにお礼を言った。鈴木さんはその間も笙に漆を塗り続ける手を止めることはない。鈴木さんが笙を作っている様子を見るのは久々だったため、懐かしく思いながらしばらくその様子を見ていた。すると鈴木さんは、ふと漆を塗る手を止めて、こちらに微笑んだ。

 「よく頑張ったね」

 鈴木さんの微笑んだ顔が、涙で滲んで見えなくなった。

 教室に通っていた時は、「追い返されるのではないか」「生徒さんの迷惑ではないか」と正直怖くて仕方がなかった。番組にできないのではないかと不安になり、帰りの電車で涙した日もあった。しかし、鈴木さんに怒鳴られたあの日も、電車で鈴木さんの本音を聞いた日も、私の思いはただ一つだった。一人の人間として、全力で鈴木さんと向き合いたい、と。

 鈴木さんが今回、撮影を許可してくれたのは、一人の人間として認めてくれたからだと思う。これから、私はたくさんの人々と出会うだろう。うまく関係が築けず、思いがなかなか伝わらないことも多いかもしれない。そんなときは鈴木さんの「頑張ったね」の一言と笑顔を思い返したい。真摯に向き合えば、人は必ず答えてくれる。鈴木さんの一瞬の笑顔は、私の一生の自信になった。

by tamatanweb | 2014-03-01 00:00 | 制作日誌

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