人気ブログランキング | 話題のタグを見る

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 10年という軌跡 ―「若狭たかはま子ども放送局」に参加して―   

法学部法律学科二年 田端夕夏

私が所属するFLP松野良一ゼミでは、二〇〇三年から毎年、「若狭たかはま子ども放送局」というプロジェクトを行っている。福井県高浜町の小学生たちと私たち大学生が一緒になって、高浜町の魅力を企画、取材、撮影、編集をして一本のテレビ番組を制作しているのだ。私は今回、初めて子ども放送局の活動に参加し、ディレクターを務めることになった。

今年も例年通り、小学生四人に「若狭たかはま漁火想」のリポートやインタビューをしてもらうことになった。

「若狭たかはま漁火想」とは、高浜町観光協会が音頭を取り、町ぐるみで住民が力を合わせて作りあげているお祭りである 。日中は、砂浜にご当地フードの屋台が並ぶ。夜は、砂浜一面に敷き詰められた約六〇〇〇個のキャンドルが灯される。また、迫力満点の水中花火、櫓ドラゴンなども有名である。このお祭りも「若狭たかはま子ども放送局」と同じく、今年で一〇周年を迎えた。現在では、2~3万人が関西や名古屋から駆けつけるほどのお祭りに成長している。「この記念すべき年に、何か特別なことができないだろうか」と、私は考えた。そして今回は、新たなブロックを設けること企画した。それは、①「参加している人たちに、漁火想一〇年目の想いを一枚のTシャツに書いてもらう」、②「以前リポーターを務めた子どもたちに、今回リポーターを務める子どもたちがインタビューする」の二つである。一〇周年の節目として記念になるようにと、何度もクルーと話し合いを重ね、考え出したものだ。

初めてのディレクターにも関わらず、新しい内容を織り込むなんて無謀かもしれない...。そう思いつつも、そんな不安を少しでも解消するため、何度も会議を重ねた。そして二〇一二年七月二七日、私たちは新幹線と鈍行列車を乗り継ぎ、福井県高浜町へ向かった。 初めて見る高浜町の白砂青松の風景、初めて会う子どもたち。撮影の事前打ち合わせも撮影も、一日で終わらさなければならない。失敗は、許されない。しかしリポーターの子どもたちの中には、去年も「子ども放送局」に参加した経験者もいた。よく段取りがわかっていたため、初めての子をしっかりサポートしてくれたのだ。新人の私には、彼らがとても頼もしく映った。

しかし、ディレクター初挑戦の私にとって、撮影現場は初めてのことだらけであった。綿密に準備して行ったにも関わらず、なかなかスケジュール通りに、撮影が進まない。その上、「Tシャツにメッセージを書いてもらう」という新しい企画が、思ったように進んでいなかったのだ。撮影と同時進行で進めるはずだったのだが、撮影の進行の遅れと共に、遅れが出始めたのだ。このTシャツは、最後に記念として、観光協会にプレゼントすることになっていた。このままでは、中途半端なものしか渡せない、どうしよう...。ディレクターの私が、まとめなければならないのに。どんどん焦りが募る中、時間だけが過ぎていった。

「何をしているんだろう...」。私は悔しさで、カンペを書く手が震え、思わず涙が出そうになった。その時、三年前にリポーターを務めた子どもたちが、どこで聞きつけたのかやってきてくれた。そして、「私たちがメッセージを集めてくるよ」と、言ってくれたのだ。「ごめんね。お願いします」。私が申し訳なさそうに、頭を下げた。子どもたちはTシャツを持って、あっという間に、人ごみの中へ消えていった。そして数十分後、早くも子どもたちが帰って来た。Tシャツには、隙間がないほどたくさんのメッセージが書き込まれていた。感動と安堵で、私は何も言えなくなった。ただ、涙が出た。「ありがとう...」というのが精いっぱいだった。

私がゼミの先輩に頼み込みデザインしてもらい、手作りで作成したTシャツ。それが、高浜町の人々のメッセージでいっぱいになった。それは、今まで一〇年間、ここ高浜町の子どもたちが、「子ども放送局」を通じて培ってきたネットワークの力そのものであった。一〇年間、私たちの先輩が、毎年高浜町に来て、子どもたちと一緒に試行錯誤しながら作り上げてきた「若狭たかはま子ども放送局」。最初は、私たちが考えられないような苦労もあったことだろう。しかしこうして、新人の私が来てもスムーズに撮影が進むほど、大きな輪に育ったということなのだ。そしてなにより、代々の子ども放送局のリポーターたちが、この「若狭たかはま子ども放送局」を大切に思ってくれている。それがなにより嬉しかった。

寄せ書きの一つに、「(漁火想は町の)宝物」という言葉があった。私にとっても、今回の活動は大切な「宝物」になった。「若狭たかはま子ども放送局」も、私たちの活動も、毎年毎年バトンを渡すように、心を繋いでいくことで大きく育っていく。そして、その一端に関われたことを、とても誇りに思う。私と一緒で今年新人だったリポーターの子どもたちは、来年はリーダーとして引っ張っていってくれるだろう。私も今年はバトンを受け取るだけで精いっぱいだった。しかし来年は、ちゃんとバトンを渡せるようになろう。私はこの思いを胸に刻み込み、帰りの鈍行列車に乗りこんだ。

by tamatanweb | 2012-11-01 00:00 | 高浜子ども放送局

<< 砂川の地で、学んだこと 多摩に伝わる「伝説の野菜」を追... >>