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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 お台場の中学生と過ごした五日間   

文学部人文社会学科社会情報学専攻三年 関彩花

私達松野ゼミでは、「子ども放送局」という活動を行っている。「子ども放送局」とは、小学生たちが、大学生たちのサポートの下、取材・撮影・リポートを自分たちで行い、番組を制作するというプロジェクトだ。

今回、東京都港区港陽中学校から、その活動を国語の授業の一環として、生徒に映像制作をさせたいというオファーがあった。今まで一般の小学校や養護学校などで活動してきたが、中学校は初めてだった。しかも今回は、教育活動の一環として、しっかりとカリキュラムに組み込まれる。もちろんそういう意味で、教育目標が設定され、成果も期待されているわけだ。今までの「子ども放送局」とは違って、明らかに私達が背負っている責任は大きかった。そしてこの活動は、私にとって初めての「子ども放送局」だった。

私達大学生は、TA(ティーチング・アシスタント)として、中学生のサポート役を務める。私達に与えられた時間数は八コマ。その中で、番組の構成作り・取材・原稿作成・撮影、そして上映までを行わなければならない。時間に余裕はなかった。ここまでの作業行程を、四五分ほどの授業時間内で出来るのか、期待通りの成果が出せるのか、重圧と不安で押しつぶされそうだった。

 

テーマは『学校紹介』。五つの班に分かれて、図書ゾーン、プール、調理室、校長室など、学校の様々な場所を紹介する。早速、班ごとに分かれて事前取材の内容や撮影で話す原稿を作り始めた。しかし、中学生たちはとても大人しく、なかなか口を開いてくれない。普段の授業でもあまり発言をしないのに、カメラの前では一体どうなってしまうのだろうか...―。大きな不安が残る中で、一日目の授業が終わった。どうしたら生徒たちは話をしてくれるようになるのだろうか。悩んだ私は、自分の今日の活動を振り返ってみた。すると、私ばかりが一方的に、作業内容について話していたことに気がついた。生徒たちが無口だったのは、生徒同士で話し合う時間を設けていなかったからではないか。それに、授業だという思い込みから、話がかたくなっていた。私達が伝えるべきは、この活動の楽しさなのだ。そう思った私は、次回から作戦を変更した。

翌日、まず私は、「テレビ番組を作れるってすごいことだよ!」と、自分の今までの体験を話した。そして、班ごとの話し合いが始まると、思い切って生徒たちだけでディスカッションするよう促した。

「この中学校のことを視聴者に分かってもらうには、何を話せばいいかな?」

私は、生徒たちに問いかけた。すると、一人の生徒が中心となり、全員で話し合いながら質問事項を考え始めたのだ。初日は全く口を開いてくれなかった男子生徒も、自分たちがカメラの前で話す台詞を考え、発言している。昨日のことが嘘のように、その生徒の口からするすると言葉が出てくるのを聞いて、コマが回り始めたのを確信した。「よし、いける!」。そう思うと、自然に笑みがこぼれた。

そして、いよいよ撮影の日を迎えた。生徒それぞれが、キャスター・D(ディレクター)・カメラマン・AD(アシスタント・ディレクター)の役につき、撮影を行った。大きな声で指示を出すDやハキハキと笑顔で話すキャスター、画面に意識を集中させるカメラマンに、カンぺをめくるAD。全員がそれぞれ自分の役割を全うしているその姿に、私は胸を打たれた。初めは消極的だった生徒が、少しずつ積極的に発言をするようになり、こうしてカメラに向かって笑顔で話している。私が思っていたよりも、中学生はしっかりと自分の意思を持っていた。生徒たちを信頼し、任せることで、彼らが持っている力を十分に発揮させることができた。少しは責任が果たせたかな...-。そう思うと、心が晴れ晴れとした。

「お台場学園放送局」を終えて、一番強く感じたのは、人を動かすことの難しさだった。でも、動かすのは人ではなく、心であった。そして、そこでなにより大切なのは、「人と人との信頼関係」であり、「心を動かす言葉を持つ」ということだった。今回の活動によって、大切なことを学んだのは、むしろ私のほうであった。

最終日、上映会を終えて、魂が抜けたようにぼんやり立っていた私のところへ、同じ班で活動した一人の女子生徒が駆け寄ってきた。そして、「この活動が本当に楽しかったからお別れするのが寂しいです。良い思い出になりました。ありがとうございました」とぺこりと頭を下げた。思いがけない感謝の言葉に、目頭が熱くなった。五日間という短い期間だったが、大学生と生徒たちとの間に、絆が生まれていたのかもしれない。

最初は私自身初めての子ども放送局で何をどうすればよいのか分からず、戸惑いばかりだった。そして毎朝ラッシュ時の電車に乗り、多摩からお台場まで通う足取りは重かった。しかし、最後に彼女が私に掛けてくれた言葉を聞き、「今回の授業で得たことが、どこか彼女の心の中に残り続けていってくれるかもしれない」と思うと、この活動の意義がしみじみと胸にしみてきた。その女子生徒の活き活きとした笑顔は、初日からは想像もできないほど輝いて見えた。そのキラキラした笑顔を胸に刻み、私はお台場を後にした。

by tamatanweb | 2012-09-01 00:00

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