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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 「感動」の準備をしよう   

商学部商業貿易学科三年 三橋真紀子

今年三月、私は「昭島子ども放送局」の番組プロデューサーを務めた。子ども放送局とは、私が所属するFLP松野ゼミで行っている映像制作活動の一つで、子どもたちが自ら企画、取材、編集を行うことで、メディアリテラシー能力の向上を図るというものだ。その子ども放送局の活動で、今年は昭島市立東小学校の小学五年生六人と一緒に活動を行った。

活動の準備が始まったのは昨年十二月頃だった。私は番組のプロデューサーどころか、映像制作をするのが初めてだった。このため、まず何から手を付ければいいのかという根本からつまづいていた。まずは一緒に活動してくれる小学校を探すことから始めようと思い、以前何度か一緒に活動をしてくださった東小学校に声をかけた。私が電話をかけたときには、校長先生から快く「一緒にやりましょう」とのお返事を頂き、後日ご挨拶に伺うことにした。しかし、ここからが私の正念場だった。

待ち合わせの日時に学校に行き、校長先生に簡単に自己紹介をしてから、子ども放送局の進め方についてプレゼンした。まずは子ども放送局とは何なのか、ということを説明した。次に子ども放送局で得られる子どもたちの能力(ここではメディアリテラシー)についても述べた。私は「なんとか子ども放送局の良さを分かってもらいたい。良い活動にしたい」という一心で一方的に話し続けた。

しかし、次第に校長先生の顔が険しくなって行くのがわかった。プレゼンが終わった後に、校長先生から、厳しいご指摘をいただいた。

「若さゆえにやる気が先行しているのは分かるけれども、押し付けられているようでならない。まずあなたは私たちにお願いする立場なのだから、具体的に私たちにどんなことを準備して欲しいのかや、そちらがどんな準備をしてくれるのかなどを提示して欲しい」

私は、この校長先生のご指摘に、内心とても落ち込んだ。自分ではちゃんと準備したつもりだった。しかしそれは相手が本当に知りたい情報ではなかったのだ。小学校側はわざわざ授業時間外の時間を割いて、子どもたちを集めてくれる。また、撮影をするに当たって子どもに危険が及ぶようなことはさせられない。そのことを私は完全に見失い、一方的に子ども放送局の魅力について話すという見当違いなことをやってしまっていたのだということに気づいた。

そこからは毎回の小学校との打ち合わせが、私にとっての課題だった。(写真1)ディレクターの野崎と相談したり、他のゼミ生と相談しながら打ち合わせの内容を詰めていった。「活動をするに当たって、一体どんな情報を提供すれば、活動がスムーズに進むだろうか」、「小学校・親御さんはどうすれば安心して子どもたちを私たちに預けていただけるだろうか」などということを一生懸命考えた。ある時は保護者宛の手紙を作成して持って行き、ある時は小学校にお願いしたいことをリストにして送った。また、子どもたちが万が一活動中にけがをした場合に備えて、保険の資料も持って行った。校長先生は、いつも何か至らない私を、真正面からお叱りしてくださった。校長先生の目の先にはいつも、「子どもたちに危険が及ばないように。子どもたちの一生の思い出になるように」という思いがあったのを私は感じた。

そうして迎えた活動当日。撮影はディレクターが仕切り、進行して行った。(写真2)私は子どもたちが時間通りに家に帰れるよう、タイムマネジメントに徹した。撮影中は担任の先生や、校長先生も来てくださった。色々なアクシデントもありつつも、子どもたちにもけがは無く無事に撮影は終わった。

後日行われた上映会で、驚きの出来事があった。なんと子どもたちが感動して泣いていたのだ。「これでもう終わってしまうなんて寂しい」。(写真3)そう言って泣く子供たちの姿を見て、私の目にも熱いものがこみ上げた。

私は活動を通して「準備すること」の大切さを教わった。それを教えてくださった校長先生や、その「準備」に夜遅くまで付き合ってくれたゼミ生、そして感動して泣いてくれた子どもたちに、改めて感謝の気持を伝えたいと思う。

上映会から三ヵ月後、私は完成したDVDを持って、小学校を再訪した。久しぶりに会う子どもたちは六年生になり、少し大人になっていた。

そして最後に校長先生が、こういうメッセージをくださった。

「社会に出れば辛い事はたくさんある。でも学生時代にこうやって色んなことをしているあなたたちなら、きっと大丈夫です」

私に向けられたその目は、あの日子どもたちの無事を祈っていた目と一緒だった。

思わずこぼれそうになった涙をこらえながら、私は東小学校を後にした。

by tamatanweb | 2013-10-01 00:00 | 昭島子ども放送局

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