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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 台湾二二八事件プロジェクトをやり遂げて   

総合政策学部政策科学科三年 澤田紫門

 私が所属するFLPジャーナリズムプログラム松野良一ゼミでは、2011年から「台湾二二八事件プロジェクト」を進めている。本プロジェクトの内容は中央大学出身の台湾二二八事件受難者遺族の方々に取材を行い、証言を記録するというもの。このプロジェクトには8名のゼミ生が参加した。実際に取材をした受難者遺族の方々は計8名。取材のために台湾では台北、高雄、屏東、台南、アメリカではテキサス州ヒューストンを実際に訪れた。海外へ足を運んだ回数は計7回にものぼる。2014年11月に、中央評論秋号「特集・台湾二二八事件と中央大学卒業生」の発行を目指し、今まで活動してきた。

 台湾二二八事件とは、終戦後、大陸からやってきた中国国民党による台湾土着民への大規模な虐殺事件のこと。大陸から台湾へきた人々を外省人、もともと台湾に住んでいた人々は本省人と呼ばれた。本省人たちは日本統治からの解放と祖国復帰に沸き立ち、「光復」を祝った。本省人たちの思いとは裏腹に、国民党による統治はあまりにも杜撰で、「犬が去って、豚が来た」と揶揄された。「日本はワンワンうるさいが番犬になった、中国はただ貪り食うだけで何の役にも立たない」という意味だ。一九四七(昭和二二)年二月二八日、本省人たちが、大規模なデモを敢行。しかし国民党の憲兵隊はこれに機銃掃射で応戦し、多くの本省人たちが虐殺された。この時に、戦中日本の大学で学んだ台湾人エリートの多くが虐殺された。中央大学出身の受難者も数多くいる。

 台湾二二八事件について調査しようと決意したのは、台北二二八紀念館に展示されている中央大学の学生帽を発見した時。台湾二二八事件と中央大学にはどのような関係があるのか...。しかし、受難者遺族探しは困難を極めた。台湾では1987年まで戒厳令が敷かれており、厳しい言論弾圧の時代が続いた。そのため同事件について話すことはタブーとされた。事件から60年以上経った現在でも、多くの人々は二二八事件について口を閉ざしたままだ。

 台北二二八紀念館や二二八國家紀念館、遺族団体の協力のもと、2年以上を費やし、8名もの受難者遺族にたどりつくことができた。「事件当時の体験を日本の人々にも伝えてほしい」といって下さった方もいたが、「つらい記憶だからあまり思い出したくない」と語った方もいらっしゃった。しかし遺族の方々は心の奥底で、「自分たちが体験した現実を知ってほしい」という共通の思いを抱いていることに気付いた。

 台湾には、年間で多くの日本人観光客が訪れる。本プロジェクトに参加する以前は、台湾に対して観光地のイメージが強く、中央大学との関わりは皆無だと思っていた。しかし、二二八事件で受難された方々の多くが私たちの先輩であると知り、後輩である私たちがこの事件について伝え広めたいと決意するようになった。そしてこの特集号が、二二八事件受難者やその遺族の心境を日本の人々に訴えていく上で、少しでも貢献できれば嬉しく思う。




by tamatanweb | 2015-01-01 00:00

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