無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 原発の町の「子ども放送局」-何を可視化させてきたのか   

法学部法律学科二年 西山周

 「若狭たかはま子ども放送局」(2015年8月福井県高浜町で開催)の準備作業が、同年5月から始まった。私はそのディレクターを務めることになった。私にとって、1番早く決まった夏休みの予定であった。その時はまだ、これまでの人生で最も印象的な夏になるとは思ってもみなかった。
高浜町とは、福井県の最西端に位置している自然豊かな町である。主な産業は、漁業や観光産業である。近年過疎化が進んでおり、2009年には4つの学校が廃校になっている。小さな漁村である高浜町が生き残るために選んだものが、原子力発電所の誘致だった。この町は、自然景観と原発、危険性と補助金、観光と風評、というような複数の「矛盾」を抱えながら生きてきた。実際に若狭高浜観光協会によれば、2004年、美浜原発で11人が死傷する事故が発生した時は、約2000件の民宿キャンセルが発生したという。そのような中、どうして10年以上も外部の人間、つまり中央大学の学生たちがプロデュースする「若狭たかはま子ども放送局」が続いてきたのか。その答えは、高浜町を訪れるまで分からなかった。
 撮影当日、いざ撮影しようとすると思うようにいかない。それは、インタビューを受けた観光客が緊張していたこともあるが、何より私が一番緊張していた。その緊張が観光客に伝わったのか、その観光客はなかなか心を開いてくれなかった。その中で、雰囲気を変えたのが子どもの笑顔だった。子どもの笑顔を見て、その観光客もニコッと笑った。インタビューは、そこから順調に進んだ。
撮影が始まる前、私の役割は、番組制作方法を子どもに教えることだと思っていた。しかし今回の撮影で、相手に心を開いてもらうことがインタビューする上で最も大切なことだと、子どもたちから教わった。ただ、この時もまだ、この番組制作が高浜町で長年行われてきた理由は分からないままであった。
その答えを見つけたのは、撮影したVTRを見直していた時だった。子どもが、漁師をしている船長さんに、高浜町への思いを聞いた。すると、船長さんはこう答えた。
「海がきれい。大阪にも出稼ぎに行っていたが、子どものころからずっと見てきたこの海が一番きれい。だから、また高浜に戻って約25年間漁師をやっているんだよ」
一人の初老の男性が、海の美しさとともに故郷への思いを語っている場面であった。これは一見何気ないカットなのかもしれない。しかし、私はこの番組が長く続く理由を、そのカットの中に見出したような気がした。もし私が、ここで子どもたちと同じように質問をしたら、船長さんはあの笑顔で同じ言葉を返してくれただろうか。恐らく聞いたのが同じ町に住む子どもだから、あの映像が撮れた。同じ町の子どもたちだからこそ、町の人々の無意識にあるものを可視化できたのだろうと思った。
 高浜町は、いくつもの「矛盾」を抱えながら歩んできた。町の人々の心の中には、現状に対する不安もあるだろう。しかし、一方で、町への愛着や誇りがあることも確かだ。その愛着や誇りを、「若狭たかはま子ども放送局」は可視化し続けてきた。
これが「若狭たかはま子ども放送局」が10年以上も続いてきた理由であり、私たちが高浜町に残すことができたものではないだろうか。
高浜町の青い海と青い空を思い出しながら、私は強くそう思った。
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by tamatanweb | 2015-12-01 00:00 | 高浜子ども放送局

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