無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 元特攻志願兵の証言―中大OBの記憶を後世に   

経済学部国際経済学科三年 名越大耕

FLP松野良一ゼミは二〇〇七年から戦争を体験した中大OBにインタビューして、その証言を記録する作業を進めてきた。その成果は書籍『戦争を生きた先輩たち』(中大出版部、全二巻)として刊行されている。私は今回、先輩たちを再取材し、映像としてアーカイブ化するプロジェクト・リーダーを担当することになった。
活字だけでなく映像でも証言を残しておきたいと思ったのは、映像は情緒的なデータも保存可能であるからだ。
私がインタビューしたのは京都府舞鶴市に住む元特攻志願兵の神原崙(たかし)さん(九一)。私と神原さんは同じ中央大学の在学生と卒業生ということでしか共通点が無かった。このため、見ず知らずの私を受け入れ、本音を話してくださるのか非常に不安であった。
私は実際に舞鶴市の自宅を訪問した。取材を受け入れて頂けたことにを感謝すると、神原さんは「大学の後輩の為ならば求められたことは全力でする。その代り、君たちも全力で僕の言葉を聞いてくれ」と話された。それを聞いて、私はとても嬉しかった。
神原さんは、特攻隊に志願した理由について、こう語った。
「いづれ招集されて歩兵として南方戦線で突撃命令を受けて玉砕するだろう。であれば、特攻隊に志願して、自分の意志で敵艦に体当たりして潔く死にたいと思った」
厳しい訓練の後、本土決戦の特攻隊要員として、朝鮮半島の温井里飛行場で待機していた。特攻に使う飛行機は、一式千「隼」であった。
しかし、一九四五年八月一五日、終戦。神原さんたちは、軍刀を持って裏山に集合させられた。「皆、てっきり自決するものだと思っていた」という。そこで、隊長がこう語ったという。
「お前たちは元々、学生じゃないか。今から日本の国にとって大事な体や。連合国の捕虜になってでも恥を忍んで、日本を救う道はどうや」
神原さんは、その隊長の言葉を聞いて、生きていくことを決心したという。
取材中、一番印象的であったことがあった。神原さんは終戦までの出来事を淡々と話された後、終戦後の母親との再会の話になった。すると一転して嗚咽された。語られた記憶は、とても鮮明だった。「お袋にこうやって、顔を撫でてもらった。『兄ちゃんかな』と言いながら、お袋が撫でてくれた。もう忘れられないから…」
軍人から一人の子どもに戻られた瞬間だった。七〇年前の出来事をまるで昨日のことのように思い出し、号泣される神原さん。私はその姿を見ながら、特攻を志願しなければならなかった時代の一人の大学生の本当の思いを知ったような気がした。
も、実際に舞鶴市へ足を運び、神原さんから直接お話を伺うことができたからであろう。
取材の最後に、神原さんは、こう強調された。
「私と同じ経験をしてほしくない」
戦争を知らない私が、今後戦争を二度と起こさせないためにできることは、戦争経験者の話を聞き、よく理解し、それを後世に受け継いでいくことだと改めて実感した。今回、貴重な機会を得たことに深く感謝したい。
[PR]

by tamatanweb | 2016-01-01 00:00 | 制作日誌

<< 動物の義肢装具士 ―日本初の挑... 原発の町の「子ども放送局」-何... >>