無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 異国の地で思いを日本に伝える仲介役として   

総合政策学部国際政策文化学科二年 和田ユリ花

 昨年は、戦後七十年という節目の年であった。私は、これを戦争について知るきっかけにと、当時中学生だった女学生が製造に従事していた、「風船爆弾」という兵器について明らかにすることにした。私と同じ女性として、過酷な労働環境の中で兵器を製造させられていた彼女たちや、その兵器について興味を持ったからである。
 風船爆弾とは、太平洋戦争末期、日本により秘密裡(ひみつり)に研究・開発された対米国の戦争兵器である。風船爆弾についての証拠資料は、戦後の隠ぺい工作によってほとんどが焼却処分され、現在ではほとんど残っていない。そこで風船爆弾について知るため、製造体験者である元女学生たちへの取材を行った。他言無用の兵器製造に従事していた彼女たちの心の葛藤、また「戦争の記憶が風化していく前に、戦争の愚かさを若い世代に伝えていかなければならない」という強い思いを、証言として記録することができた。さらに取材を進めるうちに、スミソニアン国立航空宇宙博物館代表学芸員であるトム・クローチさんという、世界でも数少ない風船爆弾の専門家の存在を知った。米国から見た風船爆弾について話を伺うため、昨年の夏、私はワシントンD.C.へ向かった。
 私は、中学から高校にかけての三年間を米国で過ごした経験があるため、ワシントンD.C.でインタビュアーを務めた。しかし、英語でのインタビューの経験などない上に、中学時代からの英語に対する苦手意識が未だに払拭できていなかった。ワシントン・ダレス空港に向かう飛行機の中で、日本語で作成した質問事項を英語に訳しながら、私は漠然とした不安に駆られていた。ワシントンD.C.到着からも、収録当日まで、インタビューのことで頭がいっぱいだった。
 収録当日は、文字通り、雲一つない快晴だった。私は、スティーブン・F.・ユードバー・ハジーセンターへと向かった。
到着してすぐ、広報員の方が館内を案内してくださり、トムさんとの待ち合わせ場所まで連れて行ってくださった。そこは、風船爆弾の現物が展示されているショーケースの前だった。
 トムさんと無事に対面した後、さっそく撮影が始まった。しかし、初めての海外撮影だったため、私も同行してくださった先輩もあわててしまい、なかなか上手に撮影を進められなかった。トムさんがアメリカ人として、風船爆弾をどのように考えているかなどという、踏み込んだ質問をしていけなかった。私の声が小さく、震えてしまったため、トムさんに何度も聞き返されてしまい、それが余計に自分を追い込むことになってしまった。
 しかし、トムさんの方から、私が今まで調べてきたときには全く出てこなかった、新しい事実を語ってくださった。初めて聞く話はとても興味深く、もっと知りたいと強く思った。そのとき私は、こんな貴重な機会に聞けることを全部聞いて帰らなければ、ここに来た意味がないと気づいた。それから私は、準備していた質問以外にも気になったことがあれば、全て伺った。トムさんのアメリカ人としての風船爆弾への意見なども聞くことができた。その時には声もはっきりと出るようになったのか、トムさんから聞き返されることも減った気がした。そして、トムさんは最後にこうおっしゃった。
 「私たちが第二次世界大戦終戦の記憶について考えることが、これからの世界平和を促進していくはずだよ」
 今回のような国外での取材では、国内での取材よりも限られた時間で、どれだけ貴重な話を伺えるかが重要だった。トムさんへの取材は、新たな証言の記録となった以外にも、取材する際の心構えを私が痛感するきっかけにもなった。言葉の壁がある中でも、同じ事柄への興味を共有することにより、心の距離は縮まり、たくさんの貴重な話を伺えることを知ることができた。この先、ほかにも取材を経験することになる。そのたびに、今回の経験のことを思い出すだろう。
 異国の地での思いを日本に持ち帰るという重要な役割を担ったことにより、私自身も一回り成長できた。この転機を、私は忘れることはない。
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by tamatanweb | 2016-02-01 00:00 | 制作日誌

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