無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 カテゴリ:昭島子ども放送局( 17 )   

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 私が流した1粒の涙   

総合政策学部政策科学科三年 野崎智也



二〇一三年二月、東京都昭島市立東小学校五年生の子どもたちと、「昭島子ども放送局」を行った。今回子どもたちは、昭島市に住む墨絵画家にインタビューをし、墨絵画家と一緒に墨絵を描いた。制作した番組は、第一〇九回「多摩探検隊」で「挑戦!墨絵描き」として放送された。私は、D(ディレクター)として、番組を制作した。

私は今回、「昭島子ども放送局」を行うに当たって、昭島市に住む魅力的な人物を探していた。そこで見つけた方が、本多豊國(とよくに)さん(六七)という墨絵画家だった。本多さんは、昭島から墨絵を広げるために、巨大墨絵のライブを行ったり、墨絵で絵本を描くなど、様々な活動を行っている。私はすぐに本多さんに連絡をとり、取材のお願いをした。

初めて本多さんに会ったのは、二〇一二年十二月下旬であった。凍えるような寒さの中、私は二人のゼミ生と共に本多さんの自宅へ伺った。いきなりの取材だったにも関わらず、本多さんと奥さんは温かい笑顔で私たちを迎えてくれた。

取材は滞りなく終わり、本多さんは番組への出演も快諾してくれた。

そして番組では、子どもたちが墨絵に挑戦し、本多さんと一緒に巨大墨絵(縦二メートル×横四メートル)を描く、ということになった。

二〇一三年二月二日、東小学校で撮影が行われた。子どもたちの無垢な笑顔を見て私は、「絶対に成功させなくては」と強く思った。そうして、撮影は始まった。

しかし撮影は、予定通りにはいかなかった。初めての撮影に慣れない子どもたちは、なかなかうまくリポートをすることが出来なかった。「私たちの指導が悪いのだろう」と思い、子どもに丁寧に説明をするように心掛けた。すると、どんどん時間が足りなくなっていった。負の連鎖が続いて焦っていた時、思わぬ事態が起きた。

 
「これは少しおかしくないかい」

本多さんが、私の演出、仕切りの悪さに不満を持ったのだ。私は番組内の演出で、子どもたちに短時間で墨を擦ってもらった。しかし、墨を擦るという作業は、実際にはもっと時間をかけて丹念に心を込めて行うものである。その作業をないがしろにしてしまったことが、本多さんの気に障ってしまったのだ。本多さんの指摘は全て的を射ていた。彼は、芸術のプロでもあり、パフォーマンスのプロでもある。私は何も言うことが出来なかった。子どもたちも含め、現場の雰囲気は一気に凍り付いた。
 
私と本多さんは教室を出て、話し合った。そこで墨については、本多さんに既成の墨汁を出してもらうことで解決した。

しかし、一度凍り付いてしまった現場の雰囲気は、簡単には戻らなかった。大学生スタッフもうつむき加減だ。私も必死に笑顔を作ったが、引きつっているのが自分でも分かった。

「ここで一回休憩にしようか!」この状況を打破してくれたのは、本多さんの息子・優太さんであった。優太さんは明るい声で現場を盛り上げてくれた。そしてなんといっても、驚いたのは子どもたちの対応である。子どもたちは常に笑顔でいてくれた。そのおかげで、本多さんの表情も緩んでいった。次第に現場は、元の和やかさを取り戻していった。

本来なら私たち大学生が撮影場所の雰囲気を作るはずが、逆に子どもたちや本多さん一家に助けられてしまった。そして撮影は無事終了した。
 
撮影から二週間後の二月一六日、同じく東小学校で、番組の上映会が行われた。この上映会には、本多さん夫婦も来る。しかし、私は本多さんに会うのが恐かった。撮影日にあれだけ迷惑をかけたのである。良い番組を上映できなかったら、今度こそ、「ディレクターとして失格だ!」と怒られてしまうのではないか、と思っていたのだ。私は上映会中も、本多さんの顔から目が離せなかった。

しかし、本多さんの顔から笑顔が消えることはなかった。そして上映会の最後に、本多さんは、「素晴らしい番組でしたね」と参加者全員の前で褒めてくれた。私は目頭が熱くなった。

上映会後、本多さん夫婦のもとへ行き、感謝の思いを伝えた。すると本多さんは、「あの時はきつい事を言ってしまったけど、この活動に参加できて本当に良かったよ。お疲れ様でした」と言って、握手をしてくれた。気がついたら私の頬には、スーッと一粒の涙が流れていた。

今回の撮影で感じたことは、現場で仕切る能力がいかに不足していたかである。私が事前準備で力を入れていたことは、カメラワークや細かい構成など、表面的なことばかりだ。しかし、実際に大事だったのは、本多さんのことを知った上でどういう演出ができるのか、どう子どもたちを動かすのか、そしてどう全体を仕切るのか、を考えることだった。そういった努力を怠れば、いくら面白いシナリオや配役があっても、「良い構成」は作れない。今回そのことを教えてくれたのが、本多さんであった。

本多さんは、墨絵を描くアーティストだ。「良いものをつくろう」という想いが人一倍に強い。だからこそ撮影中に、プロとして私たちへ向けて熱い言葉を掛けてくださったのだと思う。そのおかげで、私たちは番組を完成させることができた。
   
後日、本多さんの運営しているホームページを見ると、「昭島子ども放送局」のことが書いてあった。そこに書かれた私たちへのメッセージを丁寧に読んでいった。そこには、こう書かれていた。

「ゼミの学生たちもみんなよくがんばって、とてもよい結果を出したね」

私の手にはまだ、最後に交わした握手の温もりが残っている気がした...。
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by tamatanweb | 2013-10-01 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 「感動」の準備をしよう   

商学部商業貿易学科三年 三橋真紀子

今年三月、私は「昭島子ども放送局」の番組プロデューサーを務めた。子ども放送局とは、私が所属するFLP松野ゼミで行っている映像制作活動の一つで、子どもたちが自ら企画、取材、編集を行うことで、メディアリテラシー能力の向上を図るというものだ。その子ども放送局の活動で、今年は昭島市立東小学校の小学五年生六人と一緒に活動を行った。

活動の準備が始まったのは昨年十二月頃だった。私は番組のプロデューサーどころか、映像制作をするのが初めてだった。このため、まず何から手を付ければいいのかという根本からつまづいていた。まずは一緒に活動してくれる小学校を探すことから始めようと思い、以前何度か一緒に活動をしてくださった東小学校に声をかけた。私が電話をかけたときには、校長先生から快く「一緒にやりましょう」とのお返事を頂き、後日ご挨拶に伺うことにした。しかし、ここからが私の正念場だった。

待ち合わせの日時に学校に行き、校長先生に簡単に自己紹介をしてから、子ども放送局の進め方についてプレゼンした。まずは子ども放送局とは何なのか、ということを説明した。次に子ども放送局で得られる子どもたちの能力(ここではメディアリテラシー)についても述べた。私は「なんとか子ども放送局の良さを分かってもらいたい。良い活動にしたい」という一心で一方的に話し続けた。

しかし、次第に校長先生の顔が険しくなって行くのがわかった。プレゼンが終わった後に、校長先生から、厳しいご指摘をいただいた。

「若さゆえにやる気が先行しているのは分かるけれども、押し付けられているようでならない。まずあなたは私たちにお願いする立場なのだから、具体的に私たちにどんなことを準備して欲しいのかや、そちらがどんな準備をしてくれるのかなどを提示して欲しい」

私は、この校長先生のご指摘に、内心とても落ち込んだ。自分ではちゃんと準備したつもりだった。しかしそれは相手が本当に知りたい情報ではなかったのだ。小学校側はわざわざ授業時間外の時間を割いて、子どもたちを集めてくれる。また、撮影をするに当たって子どもに危険が及ぶようなことはさせられない。そのことを私は完全に見失い、一方的に子ども放送局の魅力について話すという見当違いなことをやってしまっていたのだということに気づいた。

そこからは毎回の小学校との打ち合わせが、私にとっての課題だった。(写真1)ディレクターの野崎と相談したり、他のゼミ生と相談しながら打ち合わせの内容を詰めていった。「活動をするに当たって、一体どんな情報を提供すれば、活動がスムーズに進むだろうか」、「小学校・親御さんはどうすれば安心して子どもたちを私たちに預けていただけるだろうか」などということを一生懸命考えた。ある時は保護者宛の手紙を作成して持って行き、ある時は小学校にお願いしたいことをリストにして送った。また、子どもたちが万が一活動中にけがをした場合に備えて、保険の資料も持って行った。校長先生は、いつも何か至らない私を、真正面からお叱りしてくださった。校長先生の目の先にはいつも、「子どもたちに危険が及ばないように。子どもたちの一生の思い出になるように」という思いがあったのを私は感じた。

そうして迎えた活動当日。撮影はディレクターが仕切り、進行して行った。(写真2)私は子どもたちが時間通りに家に帰れるよう、タイムマネジメントに徹した。撮影中は担任の先生や、校長先生も来てくださった。色々なアクシデントもありつつも、子どもたちにもけがは無く無事に撮影は終わった。

後日行われた上映会で、驚きの出来事があった。なんと子どもたちが感動して泣いていたのだ。「これでもう終わってしまうなんて寂しい」。(写真3)そう言って泣く子供たちの姿を見て、私の目にも熱いものがこみ上げた。

私は活動を通して「準備すること」の大切さを教わった。それを教えてくださった校長先生や、その「準備」に夜遅くまで付き合ってくれたゼミ生、そして感動して泣いてくれた子どもたちに、改めて感謝の気持を伝えたいと思う。

上映会から三ヵ月後、私は完成したDVDを持って、小学校を再訪した。久しぶりに会う子どもたちは六年生になり、少し大人になっていた。

そして最後に校長先生が、こういうメッセージをくださった。

「社会に出れば辛い事はたくさんある。でも学生時代にこうやって色んなことをしているあなたたちなら、きっと大丈夫です」

私に向けられたその目は、あの日子どもたちの無事を祈っていた目と一緒だった。

思わずこぼれそうになった涙をこらえながら、私は東小学校を後にした。
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by tamatanweb | 2013-10-01 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 「子ども放送局」というきっかけ ~小学生と大学生が二日間で得たもの~   

法学部法律学科 2年 日野愛音

二〇一〇年十一月。私は、二日間にわたり、昭島市立つつじヶ丘南小学校の児童十二名と「昭島子ども放送局」を行った。子ども放送局とは、小中学生が自分の住む街を紹介する番組を制作し、地域の魅力を再発見しようというものだ。子供たちが取材、企画、撮影、編集をして、私たち大学生は、子供たちの活動をサポートする。私はプロデューサーとして、この子ども放送局の統括を行った。

今回番組では、昭島市で毎年行われている、昭島市産業まつりをリポートした。今年で六年目になる「昭島子ども放送局」では、過去に何度か昭島市産業まつりを取り上げてきた。そのため「どうやって番組に新鮮さを持たせるか」ということが、大きな課題だった。先生や他のゼミ生にも相談しながら、何日も考えた。そして出した結論は、「子どもの年齢を下げる」というものだった。今まで一緒に活動してきたのは、小学校高学年の子どもが中心だ。そこに小学校三年生の子どもも加えて、一緒に番組を作ろうと考えたのだ。

それから小学校の先生方と何度も相談を重ねた。子ども放送局のプレゼンテーションや打ち合わせをして、小学三年生の子どもとも一緒に活動できることになった。こうして、六年生八名、三年生四名の合計十二名と行う、子ども放送局が始まった。

撮影当日、子どもたちと初対面した。子どもたちはみんな笑顔で挨拶をしてくれたが、その中に一人、表情が硬い子どもがいた。小学三年生の女の子だった。彼女は撮影前の話し合いでも、みんなの意見を聞いているだけで、自分の考えを発言していなかった。私は、「せっかく参加してくれたのだから、この二日間を彼女のためになるものにしてあげたい」と思い、積極的に彼女に話しかけた。彼女は「撮影を頑張りたいけれど、話すのが苦手なので不安なんです」と言っていた。そこで、私は彼女と一緒に何度も練習して、本番に備えた。

そして、彼女がリポートする番になった。私は少し不安だったが、カメラを向けると、その心配もすぐに無くなった。彼女は初めてとは思えないほど、上手にリポートしてくれたのだ。「すごく上手だよ」と褒めてあげると、彼女は「やったー!」と嬉しそうにほほ笑んだ。その瞳はキラキラと輝いていた。撮影が終わる頃には、彼女は、仲間のリポートにアドバイスしてあげるようにまでなっていた。彼女を含め、子どもたちは、より良い番組を作ろうと一生懸命だった。その姿を見ていると、私も「子どもたちがあんなに一生懸命なんだから、もっと頑張らなきゃ」と、さらに撮影に力が入った。だんだんみんなの気持ちが一つになっていったような気がした。撮影が終わると、子どもたちから自然と拍手が湧いた。その中で一番大きな拍手をしていたのは、始めは誰よりも自信がなさそうだった、あの女の子だった。他の子に「お疲れさま」と声を掛ける彼女の表情は、達成感に満ち溢れていた。

撮影から二週間後には、撮った映像を編集した番組の上映会を行った。上映会には、子どもたちの担任の先生や保護者の方々にも来ていただいた。上映中には、笑い声と感嘆の声があがり、最後は教室中が大きな拍手に包まれた。三年生の担任の先生も「三年生でもこんなに上手にリポート出来るなんて、驚きました」と、感動していた。始めは自信がなさそうだったあの女の子は、その様子を誇らしげに見ていた。その姿は、初めて出会った二週間前よりも、一回りも二回りも大きく見えた。

そして別れの時、女の子は私のもとに駆け寄ってきて、満面の笑みでこう言った。「二日間を通して、自分に自信を持てるようになったよ。子ども放送局に参加して本当に良かった。ありがとう」。その言葉に、私は涙を止めることができなかった。子ども放送局が、彼女の成長のきっかけとなった。そして、プロデューサーとして、私がそのきっかけを与えることができた。それが何よりも嬉しかった。それに私も彼女から教えてもらった。あきらめずに何度も挑戦することの大切さ、苦手は乗り越えられるのだということ。小学生をサポートするつもりが、私のほうが、学ばせてもらった二日間だったかもしれない。彼女たちに出会えたことを幸せに思った。

子どもたちは家に向かって歩きながら、何度も後ろを振り返り、手を振ってくれた。「この二日間で得た自信が、彼女たちの心の中でいつまでも生き続けますように」。そう思いながら、夕日に消えていく子どもたちの背中を、私はいつまでも見つめていた。
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by tamatanweb | 2011-03-01 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 本当に大切なこと ―子どもたちからもらった笑顔―   

総合政策学部 3年 北見英城

二〇一〇年二月十八日、私たちは、東京都昭島市立東小学校の子どもたちと一緒に、ブルガリア留学生との国際交流授業について、子ども放送局でとりあげた。子ども放送局とは、小学生が企画、撮影、リポートを行い、大学生のアシストのもとで一つの番組を完成させるというプロジェクトだ。今回は、東小学校で行われた国際交流授業について、小学校六年生二人がリポートするのを大学生がサポートして、番組にまとめた。ブルガリアの民族舞踊を踊ったり、留学生が行った授業の中でキリル文字を書いてみたり、ブルガリアの伝統工芸・マルテニツアを作ってみたりする様子をまとめたものだ。番組は、第77回多摩探検隊『東小学校子ども放送局 ブルガリア国際交流授業リポート』として放送された。私は番組プロデューサーとして、企画を立ち上げる段階から制作に関わっていた。

企画があがったとき、私はディレクターと一緒に頭を抱えていた。「国際交流授業といってもどこにでもある単なる授業じゃないのか。それをどう描いたら番組にできるのだろう・・・」。そんな不安が浮かんでいたからだ。どんな番組にするか、何度も議論を重ねたが、不安は一向に解消されないまま、本番当日を迎えてしまった。

本番当日。朝早くから、沈んだ面持ちのまま、私たちは東小学校に入っていった。しかし、民族舞踊、ブルガリアからの留学生の授業と撮影を進めていくうちに、どんなときも子どもの笑顔が耐えないことに、驚かされることになった。

初めて踊るブルガリアの民族舞踊。それを前にして、子どもたちは往左往していた。踊っているうちにどうしても足がもつれてしまう子や、転んでしまう子もいた。それでも、その表情からは、子どもたちが本当に楽しんでいることが分かった。授業のときには、留学生がおもむろに一本ずつ綿棒を配り始めた。そして、その綿棒を嗅いでみるように言う。番組のリポーターを務めた女の子二人もおそるおそる鼻に綿棒を近づけた。すると、そこからは、ブルガリア産のバラの香りがした。「うわっ、いい香り」。リポーター2人がカメラの前で見せた顔も、また笑顔だった。

撮影を通して、そのたくさんの笑顔を見ているうちに、私はハッと気が付いた。「自分は、番組ができるかどうかの不安を抱えているばかりで、本当に大切なことを忘れてしまっていたのではないだろうか・・・」と。そして、私はディレクターと話し合って、番組では子どもたちが心の底から楽しむ姿をそのまま伝えよう、と決めたのだ。それから、小学生と考えた番組の軸を元に、わたしたち大学生が番組を仕上げる作業に取り組んだ。夜遅くまで、ディレクターが編集したVTRを、私が見て意見を言い合う日々が続いた。そして、何とか番組を完成させ、多摩探検隊として放送することができた。

番組制作を終えた今、私は「今回の子ども放送局で教えられたのは、むしろ私のほうだったんじゃないか」と思っている。形にとらわれすぎて、本当に伝えるべきもの、そして心の底から楽しむことを忘れていた。そんな私に、子どもたちの笑顔が、どんな時もまっさらな心で楽しむことの大切さを教えてくれたのかもしれない。

これからの人生のなかで、私はいくつもの壁にぶつかるだろう。それは、今回の子ども放送局で私が抱えた不安より何倍も大きなものなのかもしれない。しかし、それでも子どもたちが教えてくれた、心の底から楽しむことの大切さだけは忘れないようにしよう。東小学校の子供たちのいくつもの笑顔を思い出しながら、私はそう誓っている。
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by tamatanweb | 2011-01-01 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 子ども放送局で見つけた魅力 ~学校の勉強だけでは教えられないこと   

総合政策学部 国際政策文化学科 3年 安田亮介

私は、第七七回多摩探検隊「東小学校子ども放送局 ブルガリア国際交流授業リポート」でディレクターを務めた。二〇一〇年二月一八日、東京都昭島市立東小学校でブルガリアについて学ぶ国際交流授業が行われた。番組では、小学六年生の二人のリポーターの女の子がブルガリアからの留学生たちとふれあい、国際交流をする様子を取り上げた。

取材当日。授業が始まり、いよいよ撮影開始だ。子どもたちがカメラの前に立ち、「ブルガリアの民族舞踊を踊ってくれています」とリポートを始めた。その様子を見ていた私は、あまりのリポートの上手さに驚いた。笑顔やアイコンタクトがとても印象的だった。初めのうちは緊張しているようで、上手く言葉が出てこないこともあったが、慣れていくうちにだんだんと自然にリポートも出来るようになった。そんな様子を見て、私は、彼女たちは飲み込みの早い、何でもこなせる子どもたちなのかと思っていた。

ところが、番組制作を通してお世話になった東小学校の校長先生から、後日このようにうかがった。

「リポーターのうちの一人は、学校の勉強が、あまり好きな子どもではないんです。なので、しっかりとリポートができるか担任の先生と心配したこともありました。今回子ども放送局をやり遂げたことは、彼女たちの自信になったようでした」

私は、その話を聞いて、びっくりした。落ち着いた声で、笑顔を浮かべながらリポートする姿を見ていると、とてもそういう一面をもっているようには思わなかったからだ。学校の勉強とは違う才能が見られた瞬間だったかもしれない。そんな才能を発揮することが出来るという一面も、子ども放送局の魅力であると実感した。私は、その魅力が少しでも伝えられるよう、番組をまとめようと決めた。

リポーターを務めた児童たちは、六年生だった。何とか三月の卒業式までに番組を完成させ、DVDに収めて彼女たちに渡したい。そこから、連日連夜の編集作業が始まった。そして、三月には何とか番組を完成させることができた。

三月二四日。私は番組のDVDを片手に、卒業式へと向かった。学校に到着し、そのDVDをリポーターを務めた女の子二人に渡すと、彼女たちは、「ありがとう!」ととびきりの笑顔で応えた。

その笑顔を見て、私の努力が少しだけ報われたような気がした。せめてこの経験が少しでも彼女たちの今後の人生の糧になってくれたらと思う。彼女たちは、卒業証書とDVDを握りしめながら、桜咲く道を走りぬけて行った。その後ろ姿は、前よりほんの少しだけ大きく見えた。
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by tamatanweb | 2011-01-01 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 昭島子ども放送局 ―地域の魅力を知るきっかけ―   

総合政策学部 国際政策文化学科 3年 平野実季
「このお仕事をしていて大変なことは何ですか?」

「うーん...、朝...早く起きなくてはいけないことですね」。

今年の冬、取材に行った和菓子屋のご主人と子どもレポーターのやりとりだ。少し、困りながらも、正直に答えてしまうご主人の表情がカメラに収められている。もしかしたら、子どもにしか作り出せないと思える、クスッと笑える微笑ましい雰囲気だ。この雰囲気が「子ども放送局」の売りである、と私は思う。子ども放送局とは、子どもたちが自ら撮影、インタビュー、レポートを行って作る番組だ。大学生の私は、子ども達のサポート役として携わった。

昭島市にいくつか和菓子屋がある。その一つの和菓子屋のご主人は、カステラ作りを得意としている。ご主人が考案したカステラは、同じ昭島市で採れた、黄身が濃厚な卵を原料として使っている。今回、子どもたちはそのカステラ作りに挑戦したのだ。それだけでなく、冒頭にあったようにインタビューも行う。ご主人はもちろんのこと、ご主人のお父さんにもインタビューをした。子どもたちからすると「おじいちゃん」の年代だ。昔から、昭島市にあったお店で、おじいちゃんは昔の昭島の様子も語っている。子どもたちは、和菓子屋のおじいちゃんへのインタビューを通して、自分たちの住む町の歴史にも触れることができるのである。

子ども放送局は、子どもたちがメディアについて考えたり、実践することだけが目的ではなく、自分たちの住む地域について学んだり、その地域で今まで交流のなかった人と触れあうといった「地域再発見」「地域活性化」を一つの目的としている。

私は、昭島市以外の地域でも子ども放送局に携わってきたが、「地域活性化」という目的を達成するのは難しく、曖昧なものであるような気もする。一体どうしたら「地域活性化」と言えるのだろうか。その形というか、こういう番組を作って実際に変わったことはあるのだろうか。

子ども放送局に参加した当初、私は子どもたちの番組が完成できるように、サポートに必死になっていたが、少し経ってからそんなことを考えるようになった。

子ども放送局では放送だけでなく、出来上がった番組をDVDにして子どもに渡す。子どもたちは、嬉しそうに受け取ってくれる。そして、取材先である和菓子屋に届けに行った。ケーブルテレビ放送用に編集をした私は、和菓子屋さんのご主人と一緒に番組を観た。少し照れ臭そうだったが、「ありがとう」と喜んでくれた。ご主人の息子の赤ちゃんが、テレビに映っているお父さんを観て、一瞬唖然としていたのも印象的だった。すると、ご主人がカステラを買いにきたお客さんの話をしてくれた。その人は、番組に出演した子どもの親御さんらしい。一度は名前を名乗って来店したが、その後は「名乗らないで、でも、何回も来てくれているらしいよ」。

そう言えば、子どもの一人が話してくれた。「お父さん、あそこのカステラ気に入っちゃったみたい」。

子ども放送局を通して、地域の中で新しいコミュニケーションが生まれているのは確かかもしれない。それは、小さなものでなかなか形として表れることはなくても。子ども放送局が地域に目を向ける「きっかけ」になったみたいで良かったな、と思う。
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by tamatanweb | 2010-02-01 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 私と昭島の子どもたち   

総合政策学部 3年 小原美穂

2009年3月25日。中央大学の多摩キャンパスで卒業式が行われたこの日、私は大学に向かう前に、東京都昭島市へ向かった。FLP松野良一ゼミのプロジェクトである「昭島子ども放送局」に参加したつつじヶ丘南小学校の子どもたちが、同じ日に小学校を卒業する。この「昭島子ども放送局」で、私はプロデューサーという立場でプロジェクト全体の運営を行った。プロジェクトの初日、ものすごく緊張しながら歩いた小学校への道のりを、この日再び歩くと、当時の思い出が次々と思い出された。

私と小学生が初めて会ったのは、2008年、11月8日。子ども放送局では、11月に毎年、昭島市内で2日間かけて行われる産業祭りを小学生たちが取材し、VTRを制作している。私たち大学生がそのサポートをする。1日目に事前取材を行い、2日目に実際にカメラを回し、お祭りの様子をリポートする。今回も12人の小学生が参加した。どの子たちも初めは緊張している様子だったが、班の中の話し合いが進むにつれて、だんだんと笑顔が見られるようになってきた。ただ1人、女の子のAちゃんは作業がどんどん進んでも、なんだか浮かない顔でいる。その子のことが気になってしまい、時間を見つけてはAちゃんの班へ行ってみた。撮影が進むにつれ、何回もリポートを続けていくうちに、彼女にもだんだんと自然な笑顔が出てきた。でも、みんなで休憩している時、なかなかみんなの輪に入れず、一人だけ離れて座っている。「Aちゃんは、子ども放送局をやってみて、何か変わることができたのだろうか・・・」。お祭り会場からの帰り道、Aちゃんと2人で歩きながら、ふと考えてしまった。

3日目、小学校で編集、上映会を行った。上映会では、自分たちのリポートが大きなスクリーンに映し出され、たくさんの人が見て笑い、そして拍手をする。舞台挨拶するときも、最初にあった時より何倍も、子どもたちは堂々と話している。事前取材から撮影、編集、そして発表会までを自分たちの手で行うことで、自信がついたのかもしれない。たった3日間の経験で、ここまで子どもたちに変化が見られるとは思っていなかった。自分がこのプロジェクトで、子どもたちに何かを残せたのかもしれない。そう思い、嬉しい気持ちでいっぱいになった。

上映会も終わり、子どもたちを校門前まで見送る。しばらく子どもたちと会えなくなると思うと、少し寂しい気持ちになり、いつもより遠くまで見送りに行った。子どもたちと別れ、私は小学校まで戻ろうとすると、1人だけ私についてくる。Aちゃんだ。どうかしたのかと聞くと、「本当は私だけはみんなと逆方向なんだ。でも、今日はみんなと一緒に帰ろうかなって思って・・・」とAちゃん。少し遠回りになるけどみんなと一緒に帰るなんて、本当に些細な変化なのかもしれない。けれど、Aちゃんがもし子ども放送局を経験しなかったら、そこまで積極的になれなかったかもしれない。同級生といっしょに帰っていくAちゃんの後姿をみながら、私は子ども放送局をやって本当に良かったと思った。

プロジェクトを振り返ってみると、私自身、プロデューサーとしてもっとこうしておけば良かったと思う点がたくさんある。もしかしたら、自分ではなく他の人が代わりを務めた方が、もっとうまくいったかもしれない。そんな事を考えているうちに、あっという間に卒業式が行われる小学校に着いた。久しぶりに会う子どもたちは、前よりも何倍も大人っぽくなっている。子どもたちが撮影したVTRのDVDを、1人1人に「おめでとう」と言いながら渡していく。最後にAちゃんの番になった。DVDを手渡すと、「子ども放送局、楽しかったよ」。思いがけないAちゃんの言葉に、胸がいっぱいになって、返す言葉がみつからなかった。この子ども放送局を通して、私自身の方こそ何倍も成長させてもらったような気がする。

私たちは子どもたちに別れを告げて帰路に着いた。歩き始めてしばらくして振り返ると、遠くに、ずっと手を振り続ける子どもたちの姿があった。今回、プロデューサーとして子ども放送局を運営することができて、そして、この子たちに出会えて本当によかった・・・。私は、強くそう思いながら、またゆっくりと歩き始めた。
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by tamatanweb | 2009-11-01 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 隠された魅力   

総合政策学部 国際政策文化学科 3年 佐藤 希

『子ども放送局』の魅力は、番組の中で大人に投げかける意表をついた質問や、子どもたちの自然な表情や行動の面白さだ。しかし番組からではわからない、一緒に活動する大学生にしか味わえない魅力がある。レポートをするうちに子どもたちがどんどん成長していくことが感じられることや、それを見て大学生の自分も変わる事ができることなど挙げていけば、きりが無い。

昭島市立つつじが丘南小学校の六年生の生徒とは、昨年十一月に産業まつりをレポートした番組を制作していた。二月に実施された今回の撮影は二回目で、昭島の町にある面白いものをレポートするというものだった。『多摩探検隊』の撮影とは違い、初めて撮影をする子どもたちを連れて、初めて訪れる祭を取材するという難しさがあり、コメントが思いつかない子どもと一緒に言葉を考えるなど、大学生が指導する場面が多々あった。今回の撮影も事前に段取りを入念に考え、子どもたちを引っ張っていこうと意気込んでいた。

三ヶ月ぶり再会した子どもたちは、三月に小学校を卒業するとあって、服装や顔つきが十一月の時よりも少し大人っぽくなっていた。しかしすぐ騒ぎ出したり遊びたがったりするところは、やはりまだ小学生っぽさを残していた。取材先の琴職人さんに質問したいことを事前に考える作業では、子どもたちが率先してアイディアを出し、大学生から紙とペンを奪って三〇個以上も書き出してしまった。

撮影に入ると、産業まつりの時とはまるで異なり、レポートやコメントが格段に上手くなっている事に驚いた。普段大学生がレポーターを務めるときでも、事前にディレクターと話し合い、撮り直しを何回かするものだが、今回の東京琴のレポートはほとんどが一回目のレポートである。産業まつりの時にはなかなかコメントが思いつかず、カメラの前で戸惑っていたのが、三ヶ月後の撮影では感じたことを自分の言葉で表現できるようになっていたのだ。インタビューをする時も、前回は話を聞いている最中に集中が途切れてしまったりしていたが、まっすぐ職人さんの顔をみて話を聞き、すぐにコメントを言うことができた。始めこそ職人さんを前に緊張していたが、琴作りについてのインタビューを続けるうちに自信を持った表情に変わり、アドリブで質問をしてしまうくらい積極的に取材をし始めたのだ。子どもを指導しながら撮影をするつもりが、実際には小学生がどんどん質問をして撮影を進めていた。この三ヶ月の間に、そしてこの撮影の間に、子どもたちは止まることなく成長していく。撮影が終わる頃には、子どもとして接するのではなく、ともに取材をする撮影クルーとして小学生と接する自分がいた。

子どもたちは大人とは比較にならないスピードで成長し、周りのものを吸収していく。彼らを見た後に自分のことを振り返ると、もっと自分を育てなければと反省してしまう。子どもの成長を目のあたりにすると、自分のことがよく見えてくる。自分を省みる機会があるのも『子ども放送局』の魅力の一つなのだ。
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by tamatanweb | 2008-05-01 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 子ども放送局が残したもの   

法学部 法律学科 2年 冨田 佑

三月末、桜が満開になり春の訪れを感じるころ、昭島市立つつじが丘南小学校の卒業式に行った。「子ども放送局」の制作に携わった小学六年生の卒業を祝うためだ。「おめでとう」と言うと、「ありがとう」と笑顔で答える子どもたちの顔を見て、ふと、小学校生活六年間の思い出に、どれほど子ども放送局が残っているだろうか、大袈裟だが、自分たち大学生が、どれだけ彼らに思い出として子ども放送局を残してあげられたか、と考えた。

二月十六日・十七日の二日間、「第二回 昭島子ども放送局」が開催された。小学生が、地域の魅力を取材、企画、撮影、編集して一本のテレビ番組を制作する。大学生は、TA(Teaching Assistant)としてサポート役を務める。私が担当した班で取り上げたのは、「アキシマクジラ」である。昭和三六年、昭島市多摩川流域でクジラの化石が見つかった。番組では、子どもたちが発見者の息子さんへのインタビュー、化石の発掘現場、昭島市にあるクジラの看板などのレポート、そしてクジラの肉が売られている三多摩市場のレポートを通して、クジラに密着した。

子どもに取材した感想を聞くと、「何回も取り直すのが大変でした」と開口一番にこの言葉が出てきた。取材では、見ず知らずの大人に対して、話を聞いて、コメントをする。レポートでは、上手くいかず何度も撮り直しをすることもある。また、撮影では子どもたちにとっては大きなカメラを使って、被写体をうまくフレームで捉えなければいけない。撮影後は、本格的な編集ソフトを使用して構成を考えながら編集をする。おそらく人生の中で初めての経験であろうし、これからもそんな経験をすることはないだろう。普段何気なく「視聴者」として見ているテレビ番組を、「発信者」として制作する今回の体験は、子どもたちにとって大変なものであった。

しかし、苦労したぶん、子どもたちが得たものは大きかったと思う。それは、一回目の子ども放送局の時に比べて、臆することなく取材者の人にインタビューをしたり、撮り直しをしても、あきらめずに何度も撮影に取り組む真剣な子供たちの姿を見れば明らかだった。「子ども放送局のおかげで人前に出るのが少し好きになった」と、卒業文集に残してくれた子もいた。

子ども放送局を通じての彼らの思い出は、六年間の小学校生活の中でかけがえにない貴重なものになっていると思う。むしろ、TAとして参加した私も、彼らから大学生活の大切な思い出となるフィードバックを得たような気がする。これから、子どもたちが番組制作に携わることは生涯を通してないかもしれない。でも、彼らの中で今回得た経験が生き続けてほしい。

そう心から願って、大きめでブカブカのスーツを着て、一回り大きく見える、いや、内面的にも成長を遂げた彼らの姿に別れを告げて、小学校を後にした。
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by tamatanweb | 2008-04-04 00:00 | 昭島子ども放送局

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 8年後の彼らに   

法学部 政治学科 3年 板倉拓也

「そういえば、小学生のころ、近所の大学生と毎日遊んでた時期があったっけ」

夜遅くまで、見あげるように大きい大学生とサッカーやドッヂボールをしていた日々。完成した「子ども放送局」のVTRを見ながら、ふと思い出した。

子ども放送局とは、小学生・中学生が自分の住む町をレポートする番組をつくるプロジェクトである。大学生はTA(Teaching Assistant)として子どもたちをサポートする役割を担い、企画、撮影、編集は小中学生が行う。時が経つのは早いもので、今では私も思い出のなかの大学生と同じ年になった。そして、子ども放送局のTAとして、かつての私と同じ年の子どもたちとふれ合うようになった。

二〇〇八年度は、七月に福井県で「高浜子ども放送局」が、十一月と二月に東京都の昭島市で「昭島子ども放送局」が行われた。私はそのうちの二回の昭島子ども放送局に携わった。

今だからこそ言えるが、最初子ども放送局のTAをすることは億劫だった。子どもとどう接すればいいのかわからない。きちんとまとめることができるのか、という不安もあった。

しかし、この思いと裏腹に、私は昭島子ども放送局のTAを務めることになった。理由は簡単だった。各々のスケジュールを考えたうえで、TAをできそうなのが私しかいなかったのだ。

決して本望とは言えない形でTAになった私は最初、子ども放送局に対する不安を払拭しきれずにいた。しかし、十一月、二月と二回の子ども放送局を経験していくにつれ、それらの不安はあまり感じられなくなっていった。

もちろん不安はあったが、それを感じなかったのは、私のなかでいつの間にか、子ども放送局に対する不安よりも期待のほうが勝るようになっていたからだろう。

子ども放送局に対する期待。それは、撮影を通して、目に見えて成長する子どもたちの姿に立ち会える、という期待である。最初は、TAが助言しないと出てこなかった取材相手への質問が、二月の子ども放送局のときには、メモをとるのが追いつかないくらい次々とでてくる。用意されたルーズリーフは、質問を書いたポストイットでいっぱいになった。また、大学生のあとに続いてしかあいさつできなかった子どもたちが、終盤にもなると何も言わないでもあいさつできるようになっていた。

きっと、これらのことは決して私たちのサポートでできるようになったというものではなく、子どもたちが自然に習得していったものだろう。そうだとしても、子どもの成長を実感できることに、TAの喜びを感じた。

おそらく参加した子どもたちは、かなり特異な体験をした小学生ということになるだろう。大学生といっしょに町を歩き、知らない人にインタビューする。決して学校の授業では体験できないことばかりだ。

子どもたちが二十歳になるまで、あと八年。子ども放送局は、これからの彼らの成長のために何かを残すことができたのだろうか、なんてことを考える。

でも、子どもたちが今の私と同じ歳になるころ、

「そういえば、小学生のころ、大学生と子ども放送局なんてやってたっけ」

なんて、ふと思い出してくれたら、それだけでうれしい。
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by tamatanweb | 2008-04-01 00:00 | 昭島子ども放送局