多摩八十八ヶ所巡り ―旅の果てに発見したもの
総合政策学部 4年 佐竹祐哉
多摩八十八ヶ所、という霊場をご存じだろうか。簡単に言ってしまうと、有名な四国八十八ヶ所霊場の多摩版のようなものだ。昨冬、「多摩探検隊」の企画として、私たちは多摩八十八ヶ所を巡った。私はその番組のプロデューサーを務めた。
多摩八十八ヶ所を取り上げるきっかけは、一冊の本だった。FLP演習室に誰かが置き去りにした『多摩八十八ヶ所巡拝のしおり』。その本のタイトルを目にしたとき、「回ってみたら面白そうだなあ」と思った。私は長年多摩地区で暮らしてきたが、多摩八十八ヶ所の存在を全く知らなかった。全長四一〇キロメートルの道程。「厳しいであろう道のりを、敢えて辿ってみたい」。強い冒険心を抱き、私は多摩八十八ヶ所を巡る番組を制作しようと決意した。
しかし、ただ観光のように八十八ヶ所を巡るだけでは面白くない。視聴者に楽しんでもらうためには、なにか若者らしい挑戦をしなければいけないと思った。そこで私は、通常七日間ほどかかる多摩八十八ヶ所を三日間で回るという無謀な目標を設定した。こうして、「多摩あるきたい!多摩八十八ヶ所巡りの旅」という企画がスタートした。四年生の私にとって、卒業前の最後にして最大の挑戦である。
そうして撮影に臨んだものの、私たちははじめから大きくつまづいてしまった。三日間で八十八ヶ所を巡るためには、一日に三〇ヶ所は回る必要がある。だが、数々の不運も重なり、撮影初日には一一ヶ所しか回ることができなかったのだ。ここから予定は大きく狂った。「三日間で八十八ヶ所を回る」といいながら、四日間で回る企画に変更せざるを得なくなった。思っていた以上に多摩地域は広かったのである。当然リポーターを引き受けてくれた二人にも大きな負担をかけてしまい、疲労は積み重なる。さらに、企画変更に伴うディレクターの心労は留まるところを知らなかった。「こんな企画を設定したのは誰だ!」と罵りたい気分にもなったが、企画者は私である。
それでも、なんとか撮影は終わった。だが、疲れと迷いは残った。「本当にこの企画で良かったのだろうか」。ひたすら悩んだ。だが、編集をしているうちに、撮ってきた映像を見ているうちに、私は大切なことを思い出した。
ある寺の住職さんは、「八十八ヶ所を回るなんて大変でしょうけど、若い人が寺に興味を持ってくれて嬉しい。頑張ってください」と言って、取材を許可してくださった。白装束を着たリポーターに「あら、お遍路さん?大変ねえ」と声をかけてくれた人がいた。お寺への道に迷ったときに、親切に教えてくださった方々がいた。
八十八か所巡りの由来をしっかり勉強したこと。華蔵院(青梅市)に伝わる重要有形文化財「鰐口」を撮影させていただいたこと。高幡不動の金剛寺境内に山内八十八カ所が存在することを知ったこと。などなど、今回の旅で得た知識と感動は、計り知れないことに気づいたのである。
最初は、冒険心や好奇心にまかせて始めた無茶苦茶な企画だったが、やってみると、得たものは多く、1つ1つが心に残るものだった。普通の大学生がやらない八十八カ所巡りをやってみて、初めて多摩に眠る重宝や信仰、人々の温かさなどを発見できたのだ。
企画は、「多摩八十八ヶ所巡りの旅」という三回シリーズの番組として結実し、二〇一一年三月から三カ月連続で放送が始まった。
「多摩あるきたい!多摩八十八ヶ所巡りの旅」という卒業証書を抱いて、私は、中央大学を卒業する。四年間の大学生活の最後に、この番組を制作・放送することができて、本当に幸せだったと思いながら...。
(筆者は、二〇一一年四月から、早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコースに在籍)
多摩八十八ヶ所、という霊場をご存じだろうか。簡単に言ってしまうと、有名な四国八十八ヶ所霊場の多摩版のようなものだ。昨冬、「多摩探検隊」の企画として、私たちは多摩八十八ヶ所を巡った。私はその番組のプロデューサーを務めた。
多摩八十八ヶ所を取り上げるきっかけは、一冊の本だった。FLP演習室に誰かが置き去りにした『多摩八十八ヶ所巡拝のしおり』。その本のタイトルを目にしたとき、「回ってみたら面白そうだなあ」と思った。私は長年多摩地区で暮らしてきたが、多摩八十八ヶ所の存在を全く知らなかった。全長四一〇キロメートルの道程。「厳しいであろう道のりを、敢えて辿ってみたい」。強い冒険心を抱き、私は多摩八十八ヶ所を巡る番組を制作しようと決意した。
しかし、ただ観光のように八十八ヶ所を巡るだけでは面白くない。視聴者に楽しんでもらうためには、なにか若者らしい挑戦をしなければいけないと思った。そこで私は、通常七日間ほどかかる多摩八十八ヶ所を三日間で回るという無謀な目標を設定した。こうして、「多摩あるきたい!多摩八十八ヶ所巡りの旅」という企画がスタートした。四年生の私にとって、卒業前の最後にして最大の挑戦である。
そうして撮影に臨んだものの、私たちははじめから大きくつまづいてしまった。三日間で八十八ヶ所を巡るためには、一日に三〇ヶ所は回る必要がある。だが、数々の不運も重なり、撮影初日には一一ヶ所しか回ることができなかったのだ。ここから予定は大きく狂った。「三日間で八十八ヶ所を回る」といいながら、四日間で回る企画に変更せざるを得なくなった。思っていた以上に多摩地域は広かったのである。当然リポーターを引き受けてくれた二人にも大きな負担をかけてしまい、疲労は積み重なる。さらに、企画変更に伴うディレクターの心労は留まるところを知らなかった。「こんな企画を設定したのは誰だ!」と罵りたい気分にもなったが、企画者は私である。
それでも、なんとか撮影は終わった。だが、疲れと迷いは残った。「本当にこの企画で良かったのだろうか」。ひたすら悩んだ。だが、編集をしているうちに、撮ってきた映像を見ているうちに、私は大切なことを思い出した。
ある寺の住職さんは、「八十八ヶ所を回るなんて大変でしょうけど、若い人が寺に興味を持ってくれて嬉しい。頑張ってください」と言って、取材を許可してくださった。白装束を着たリポーターに「あら、お遍路さん?大変ねえ」と声をかけてくれた人がいた。お寺への道に迷ったときに、親切に教えてくださった方々がいた。
八十八か所巡りの由来をしっかり勉強したこと。華蔵院(青梅市)に伝わる重要有形文化財「鰐口」を撮影させていただいたこと。高幡不動の金剛寺境内に山内八十八カ所が存在することを知ったこと。などなど、今回の旅で得た知識と感動は、計り知れないことに気づいたのである。
最初は、冒険心や好奇心にまかせて始めた無茶苦茶な企画だったが、やってみると、得たものは多く、1つ1つが心に残るものだった。普通の大学生がやらない八十八カ所巡りをやってみて、初めて多摩に眠る重宝や信仰、人々の温かさなどを発見できたのだ。
企画は、「多摩八十八ヶ所巡りの旅」という三回シリーズの番組として結実し、二〇一一年三月から三カ月連続で放送が始まった。
「多摩あるきたい!多摩八十八ヶ所巡りの旅」という卒業証書を抱いて、私は、中央大学を卒業する。四年間の大学生活の最後に、この番組を制作・放送することができて、本当に幸せだったと思いながら...。
(筆者は、二〇一一年四月から、早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコースに在籍)
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▲ by tamatanweb | 2011-06-01 00:00 | 制作日誌