「お台場学園放送局」を担当して① 生徒の可能性を信じることの意味
総合政策学部国際政策文化学科三年 石田洋也
中学二年生の国語に「テレビ番組をつくろう」という単元がある。これはメディアリテラシー教育を国語の科目に盛り込みたいという政策によって設置された単元である。しかし、実際には、番組制作を教えられる教師は少ないのが現状である。港区立港陽中学校から、私が所属する松野良一ゼミに、この単元の学習のための、サポート依頼が来た。これを受けて私たちは、中学二年生が、企画、取材、撮影を行ってテレビ番組を制作する活動を、大学生がサポートするというプロジェクトを立ち上げた。これが「お台場学園放送局」の始まりだった。
二〇一三年三月。この単元の学習を、授業九コマを使って行うことになった。正規科目「国語」の単元として実施するので、私たちは新学習指導要領に沿って教育目標を設定し授業計画から学習効果までを考慮しなければならない。活動が始まる前、港陽中学校の先生方に、「大学生は教育者の立場として生徒に接してください」と念を押された。生まれて初めて教育者として関わる活動に、私は不安と緊張でいっぱいだった。そして、大きな責任を感じた。
今回、企画した番組は、中学校近くにある「台場コミュニティーぷらざ」を、生徒たちがマイクを持ってリポートし、関係者のインタビューを含めて紹介するというものだった。「台場コミュニティーぷらざ」には、児童館や図書館、区民ホールといった、生徒たちにとって普段から親しみのある施設がある。二十五人の生徒は、スタジオ班、図書室班、児童館班、児童館分室班、台場分室班(芝浦港南地区総合支所台場分室)の五つの班に分かれて施設を紹介することになった。
まず各班がリポートを担当する場所を決めた後、今度は班のメンバーで話し合って、ディレクター、リポーター、カメラなどの役割を割り振った。次に番組の構成表を作成するための事前取材を行うスケジュールになっていた。私はティーチングアシスタント(TA)として、中学生たちとコミュニケーションをとれないまま授業に臨んだため、焦りは頂点に達していた。
しかし、授業が始まると、思っていたよりも、中学生たちはずっと明るく積極的だった。ディレクター役の生徒が中心となって、「誰にインタビューしたら良いか」を議論した。すぐに班の中で、「館長さんがよいと思う」と意見がまとまった。すると、ディレクターの生徒が「では、館長さんにどんなことをインタビューしようか?」と話を進めてくれた。
インタビューの内容を考えることには少し苦戦していたようだったので、私から「この質問をしてみたら良いと思うよ!」とアドバイスをした。班員も「それ、いいね!」といって、しっかりとメモを取ってくれた。その日の活動が終わり、私は胸をなでおろして、大学生と先生方との反省会に臨んだ。反省会では、港陽中学校の先生がこうおっしゃった。
「生徒と仲良くなってもらうのは構わないですが、『授業』ということを忘れないでください。また、中学生は多感な時期でもあるので『生徒の意見を聞かず、大学生の意見を押し付ける』ことをしないように注意してください」
この時、私は大きな間違いをしていることに気がついた。なかなかインタビューの内容を考えることが出来なかった彼らに、初めから答えを与えてしまった。もっと、生徒の立場に立って彼らから答えを引き出すべきだった。
そこで次の活動では、「『いつ、どこで、誰が、何を、どうした』と簡単なところから考えてみよう」とだけアドバイスした。すると班員から次々とインタビューで質問する項目が出てきた。先生に指摘された『授業』ということの意味が、少しだけわかったような気がした。
事前取材を終えると、番組の構成表を作成した。班員も活動に慣れてきたのか、発言する回数が増えて来た。実際に構成表を作成していくにあたって、アシスタントディレクター(AD)の生徒が「付箋を使ったら、質問項目の並べ替えがしやすいし、皆わかりやすいのではないか」という提案をしてくれた。それによって構成表の作成はスムーズに進み、リポーター役の生徒は自分がリポートしやすい言葉を選んで構成表に組み込んでいた。それぞれの役割を自覚しながら、各班員が懸命に構成表の作成に関わっている姿を見ながら、私は彼らを信頼して撮影に臨んでみようと思った。
そしていよいよ撮影の日を迎えた。時間を見ながら撮影を進めていくディレクター、笑顔でハキハキとインタビューするリポーター、画(が)角(かく)と音をチェックしながらモニター画面を見つめるカメラマン、カンペめくりからリポーターの服装チェックまで担当するAD。それぞれが役割をしっかりとこなし、協力しながら撮影を進めていった。そんな彼らに、私からアドバイスすることはほとんどなかった。すでに最初にあった私の中の不安は、完全に消えていた。むしろ、私は生徒から「信頼することの大切さ」を教えてもらった。教育とは、必ずしも手取り足取り指導することが正しいのではなく、生徒を信頼して、彼らの可能性を引き出してやることだと実感した。
上映会の日がやってきた。中学生たちは、大きなスクリーンに映し出される映像を見ながら、皆笑っていた。そして、その顔には、充実感がみなぎっていた。
上映が終わり、お別れする時が来た。ディレクター役とリポーター役の生徒が、私のところに寄って来た。
「本当に良い思い出になりました。途中戸惑ったこともあったけれど、皆で協力して番組を作ることができて良かったです。ありがとうございました」
そう挨拶してお辞儀をすると、彼らは、次の授業がある教室へと向かって行った。
私はその後ろ姿を見送りながら、彼らに出会えて本当によかったと思った...。
中学二年生の国語に「テレビ番組をつくろう」という単元がある。これはメディアリテラシー教育を国語の科目に盛り込みたいという政策によって設置された単元である。しかし、実際には、番組制作を教えられる教師は少ないのが現状である。港区立港陽中学校から、私が所属する松野良一ゼミに、この単元の学習のための、サポート依頼が来た。これを受けて私たちは、中学二年生が、企画、取材、撮影を行ってテレビ番組を制作する活動を、大学生がサポートするというプロジェクトを立ち上げた。これが「お台場学園放送局」の始まりだった。
二〇一三年三月。この単元の学習を、授業九コマを使って行うことになった。正規科目「国語」の単元として実施するので、私たちは新学習指導要領に沿って教育目標を設定し授業計画から学習効果までを考慮しなければならない。活動が始まる前、港陽中学校の先生方に、「大学生は教育者の立場として生徒に接してください」と念を押された。生まれて初めて教育者として関わる活動に、私は不安と緊張でいっぱいだった。そして、大きな責任を感じた。
今回、企画した番組は、中学校近くにある「台場コミュニティーぷらざ」を、生徒たちがマイクを持ってリポートし、関係者のインタビューを含めて紹介するというものだった。「台場コミュニティーぷらざ」には、児童館や図書館、区民ホールといった、生徒たちにとって普段から親しみのある施設がある。二十五人の生徒は、スタジオ班、図書室班、児童館班、児童館分室班、台場分室班(芝浦港南地区総合支所台場分室)の五つの班に分かれて施設を紹介することになった。
まず各班がリポートを担当する場所を決めた後、今度は班のメンバーで話し合って、ディレクター、リポーター、カメラなどの役割を割り振った。次に番組の構成表を作成するための事前取材を行うスケジュールになっていた。私はティーチングアシスタント(TA)として、中学生たちとコミュニケーションをとれないまま授業に臨んだため、焦りは頂点に達していた。
しかし、授業が始まると、思っていたよりも、中学生たちはずっと明るく積極的だった。ディレクター役の生徒が中心となって、「誰にインタビューしたら良いか」を議論した。すぐに班の中で、「館長さんがよいと思う」と意見がまとまった。すると、ディレクターの生徒が「では、館長さんにどんなことをインタビューしようか?」と話を進めてくれた。
インタビューの内容を考えることには少し苦戦していたようだったので、私から「この質問をしてみたら良いと思うよ!」とアドバイスをした。班員も「それ、いいね!」といって、しっかりとメモを取ってくれた。その日の活動が終わり、私は胸をなでおろして、大学生と先生方との反省会に臨んだ。反省会では、港陽中学校の先生がこうおっしゃった。
「生徒と仲良くなってもらうのは構わないですが、『授業』ということを忘れないでください。また、中学生は多感な時期でもあるので『生徒の意見を聞かず、大学生の意見を押し付ける』ことをしないように注意してください」
この時、私は大きな間違いをしていることに気がついた。なかなかインタビューの内容を考えることが出来なかった彼らに、初めから答えを与えてしまった。もっと、生徒の立場に立って彼らから答えを引き出すべきだった。
そこで次の活動では、「『いつ、どこで、誰が、何を、どうした』と簡単なところから考えてみよう」とだけアドバイスした。すると班員から次々とインタビューで質問する項目が出てきた。先生に指摘された『授業』ということの意味が、少しだけわかったような気がした。
事前取材を終えると、番組の構成表を作成した。班員も活動に慣れてきたのか、発言する回数が増えて来た。実際に構成表を作成していくにあたって、アシスタントディレクター(AD)の生徒が「付箋を使ったら、質問項目の並べ替えがしやすいし、皆わかりやすいのではないか」という提案をしてくれた。それによって構成表の作成はスムーズに進み、リポーター役の生徒は自分がリポートしやすい言葉を選んで構成表に組み込んでいた。それぞれの役割を自覚しながら、各班員が懸命に構成表の作成に関わっている姿を見ながら、私は彼らを信頼して撮影に臨んでみようと思った。
そしていよいよ撮影の日を迎えた。時間を見ながら撮影を進めていくディレクター、笑顔でハキハキとインタビューするリポーター、画(が)角(かく)と音をチェックしながらモニター画面を見つめるカメラマン、カンペめくりからリポーターの服装チェックまで担当するAD。それぞれが役割をしっかりとこなし、協力しながら撮影を進めていった。そんな彼らに、私からアドバイスすることはほとんどなかった。すでに最初にあった私の中の不安は、完全に消えていた。むしろ、私は生徒から「信頼することの大切さ」を教えてもらった。教育とは、必ずしも手取り足取り指導することが正しいのではなく、生徒を信頼して、彼らの可能性を引き出してやることだと実感した。
上映会の日がやってきた。中学生たちは、大きなスクリーンに映し出される映像を見ながら、皆笑っていた。そして、その顔には、充実感がみなぎっていた。
上映が終わり、お別れする時が来た。ディレクター役とリポーター役の生徒が、私のところに寄って来た。
「本当に良い思い出になりました。途中戸惑ったこともあったけれど、皆で協力して番組を作ることができて良かったです。ありがとうございました」
そう挨拶してお辞儀をすると、彼らは、次の授業がある教室へと向かって行った。
私はその後ろ姿を見送りながら、彼らに出会えて本当によかったと思った...。
▲ by tamatanweb | 2013-07-01 00:00 | その他